ドイツのお話
February 21, 2023
3年半振りにドイツへ Part 1 感動❤️と…
題名にあるように、この間3年半振りにドイツに行って来ました



そのことについて今回は認めて参りたいと思います。
その前に、日本の行事は、日本を離れていても忘れたくないということもありまして、2月3日の節分には、今年はドイツへの出発を翌日に控えていたので、恵方巻きは作りませんでしたが、節分そばを食べて済ませました。豆まきはさすがにミラノ宅ではしていません。

出発日は4日で立春。本格的な一年の始まりとなりますから、この日までに大掃除を済ませ、早朝に、前日用意した『立春大吉』のお札を玄関に貼り、立春豆腐を食べ、どうにかMizko流の節分と立春行事を済ませ、いざ出発

インスブルックまでは前回も行きましたが、それから先の道のりは3年半振り。
アルプス山脈を北上して行くと、徐々に広がる灰色の雲(写真右5枚:その様子は写真でも一目瞭然)気温もグングン下がりました。
目的地ドイツNürnberg(ニュールンベルグ)までは、片道9時間の旅でした。
このドイツ行きは突然、それも必然的なことでした。
イタリアの郵便事情の悪さを十分に承知した上に、忍耐に忍耐を重ねて3ヶ月待ちましたが届かない

さすがに頭に来て、届かぬ書類は諦め、再発行してもらい、その書類をドイツまで取りに行く、それが目的でした。
イタリアに比べて、どこもかしこも清潔感がある

歩きながらスマホで大声で話している人がいない

どこに行ってもみんなの話し声が静か

道路に犬の落し物が無い
(滞在中に見たのはたった2回。ミラノでは…
)


横断歩道は歩行者優先で車が止まる

車道の二重駐車や歩道に駐車している車がない

お店にある品数が多い

最高に嬉しかったのは、歩道の道幅も広いので、マスクを外しても密になる心配もなく、レストランも広々しているので、これならば安心と、コロナ時代になって3年振りに店内で飲食をしました

(写真右:これだけソーシャルディスタンスが取れたら、安心して飲食が出来ます
)

ミラノと比べて、マスクをしている人がほとんどいませんでしたが、こうした状況下ならば必要ないなと思いました。しかし咳をしている人がミラノよりも多い印象でしたので、混んだ店内でのお買い物では、私はマスクを着用していました。
しかし久しぶりのドイツでは感動だけではありませんでした。
3年半もドイツに行かない事は今まで一度もなかったので、行かない間に忘れていたドイツのネガティブなことも思い起こされたり、コロナの前後で変わってしまったこともあり、落胆も大きかったです

(写真上:到着後、先ずはこの地に元気に戻って来れたお礼に教会へ)

私も長く海外生活をしていますし、「お客様は神様」
なんていう言葉が存在するのは日本だけである事は重々承知しておりますが、あまりにもひどい言動に、ドイツ滞在中は、優雅にマダムなんてやっちゃあいられず、マダムMizkoは極妻Mizko化していました。ホント、頭来たぁ〜〜〜〜」




















「おいこりゃ〜〜いい加減にせい
なめたらいかんぜよ〜
」



そのお話は次回に。
(今度は長いご無沙汰せずに続きをお話ししますね〜〜。Readerの皆さんにも頭に来たお話を聞いて頂きたくてうずうずしていますし
)

madame_mizko at 21:11|Permalink│Comments(0)│
November 17, 2013
暴露?!実はMizkoは…世界史に残る瞬間の一証人です!
私はその日友達に会ったのですが、相手が風邪気味のために夜も早目に解散
ホテルでシャワーを浴びていた時でした
窓の外のあちらこちらから歓声が上がっています
何事かと思って大急ぎに外を見ると、暗闇の中であちらこちらの照明が煌煌と輝いていて
様子がなんだか尋常ではありません

何か事件でも起きたのかと不安になりました
テレビを点けると、どのチャンネルも同じ画像が写っていました
多くの人が列を作って歩きながら気勢を上げたり、泣いたり、抱き合ったりしています。
(どこの何の話
)
理解が全く出来ませんでした。
(え~~~
ベルリンの話

)
(何で東西の国境を大勢で歩いているの
)
それもフリーパスで、東側の国境には、蝋人形のように無表情な兵隊の姿もない。
(
国境が開いてる~~~どうして
)
(あんなに厳しい検問があるはずなのに~~)
何が何だか事情が掴めず、お化粧をする間もなく、兎に角服を着て外に出てみました。
いつもは静かな夜の町が、お店も開いていて、どこもかしこも人で溢れていて、何度も訪れたこの町のいつもの光景とは全く違っていました
皆東西の国境に集まっています
人の列が次々と後を絶たずに東側から押し寄せて来ていました


知らぬもの同士、東西の人々が抱き合って喜んでいたり、一緒に泣いていました
西側の国境では、子供達が東から来る子供達にお菓子を上げています
特にパブでは皆気勢を上げすごい騒ぎです


東からの人々にやれビール、やれコーラと配っていました

おばあさんがお財布からお金を出して、「これで好きに飲みなさい。」と見知らぬ東の人に上げていました。
そして沢山の人がベルリンの壁に上り歓声を上げていました






それをびっくりして見上げていると、壁の上の知らない男性にいつの間にか腕を引っ張られ、アッという間に私も3mの高さの壁に上り、自由への開放を皆と喜び合いました
お互いに知るも知らないもなく、人々の心は喜びで一つになりました
そうなんです
実は私…1989年11月9日、たまたま友達に会いに西ベルリンに行っていました
そして私は、偶然にも世界史に残る瞬間の一証人となりました
(写真は実はベルリンの壁の一部が付いている絵はがきです。私もどこかの写真に載っているかもしれません
)
ですからベルリンには特別な思い入れがあります
またあの日の思い出はそれだけではありません
ベルリンの壁に上る際に引っ張られた右手首の骨が炎症を起こし
その後3ヶ月間、人生で初めてギブスをすることになりました
1989年11月9日は私の人生の中で、決して忘れられない一日となりました

ホテルでシャワーを浴びていた時でした

窓の外のあちらこちらから歓声が上がっています

何事かと思って大急ぎに外を見ると、暗闇の中であちらこちらの照明が煌煌と輝いていて



何か事件でも起きたのかと不安になりました

テレビを点けると、どのチャンネルも同じ画像が写っていました

多くの人が列を作って歩きながら気勢を上げたり、泣いたり、抱き合ったりしています。
(どこの何の話

理解が全く出来ませんでした。
(え~~~




(何で東西の国境を大勢で歩いているの

それもフリーパスで、東側の国境には、蝋人形のように無表情な兵隊の姿もない。
(



(あんなに厳しい検問があるはずなのに~~)
何が何だか事情が掴めず、お化粧をする間もなく、兎に角服を着て外に出てみました。
いつもは静かな夜の町が、お店も開いていて、どこもかしこも人で溢れていて、何度も訪れたこの町のいつもの光景とは全く違っていました

皆東西の国境に集まっています

人の列が次々と後を絶たずに東側から押し寄せて来ていました



知らぬもの同士、東西の人々が抱き合って喜んでいたり、一緒に泣いていました

西側の国境では、子供達が東から来る子供達にお菓子を上げています

特にパブでは皆気勢を上げすごい騒ぎです



東からの人々にやれビール、やれコーラと配っていました


おばあさんがお財布からお金を出して、「これで好きに飲みなさい。」と見知らぬ東の人に上げていました。
そして沢山の人がベルリンの壁に上り歓声を上げていました







それをびっくりして見上げていると、壁の上の知らない男性にいつの間にか腕を引っ張られ、アッという間に私も3mの高さの壁に上り、自由への開放を皆と喜び合いました

お互いに知るも知らないもなく、人々の心は喜びで一つになりました

そうなんです


そして私は、偶然にも世界史に残る瞬間の一証人となりました

(写真は実はベルリンの壁の一部が付いている絵はがきです。私もどこかの写真に載っているかもしれません



またあの日の思い出はそれだけではありません

ベルリンの壁に上る際に引っ張られた右手首の骨が炎症を起こし


1989年11月9日は私の人生の中で、決して忘れられない一日となりました
