March 2023
March 25, 2023
Mizko(325)の日に❤️Mizko流外国生活生き残り術❤️Part2暴れん坊Mizko誕生!
本日は3月25日、3(ミ)2(ツ)5(コ)のMizkoの日

だからこそ、今までの海外でのMizkoの人生を垣間見て頂けたらと思います。
(写真:ミラノの春。八重桜も咲いています)
前回の続き…
世界に行動範囲を広げれば、本当に色々な人に出会います。
日本と違い「お客様は神様」なんていう言葉もない。
そして海外に出れば、日本にいる時には意識してもいなかった黄色人種であるということに気付かされます。
私も「イエロー」「オリエンタル」と呼ばれ差別を受けた経験はあります。
海外生活でどんな経験をし、それをMizko流にどう対処して来たかを今回はいくつかお話ししますね。
自分なりにきちんと対処して来たからこそ、後悔もありませんし、心にネガティブな感情も残らず、私を育ててくれたチャンスだったと思っています。

1)道を歩いていただけで、突然知らない男性に人混みの中、私に向かって中指を立てて大声で怒鳴られた。それも一回だけではなく、三回も

あまりにも突然で何が起こったかも分からず、帰宅して、20代半ばの私は驚きのあまりにただ泣きました。そして後日またばったりその男に会い、同じように指を立てながら私を怒鳴りました。その時にも対処が出来ず、帰宅してから、何も出来ない自分がただただ情けなく涙が出ました。
後日またまたその男性に会いました。同じように中指を立てて、私を怒鳴りました。
もうその時には、何事があっても「もう絶対に黙っちゃいない
」と決心した後だったので、当時まだドイツ語を上手く話せなくても、言っている意味は何となく解りましたから、私も負けずに大声で、「ただ街を歩いているだけなのに、何故あなたにそんな態度を取られなければいけないの
何故
何故
理由を言いなさい
」と英語で捲し立てました。そうしたらその男は黙って去って行くので、追いかけて、「理由を言いなさい
何故なの
何故
」と背中に向かって怒鳴り続けました。









男は一言も私に言わず、足早に去って行きました。
「やっぱり黙っていちゃだめだ
」と心に強く思った瞬間でした。

どういう相手でも、「相手の問題」ではなく、結局はどう自分が対処するのか?と「自分の問題」であるということにも気付きました。
2)路面電車で「無賃乗車」扱いされた
ある時には、後車から路面電車に乗って、切符に印を押そうとしたら機械が壊れていました。揺れる車中を前に移動したら、そこの機械も壊れている。
またまた揺れる車中をフラフラしながら、運転手さんの真後ろの機械に切符を入れようとした途端に電車が急停車し、私がそばの席に尻餅をついた瞬間ドアが開き、切符をコントロールする男性達が入って来ました。そしてどこからその様子を見ていたのか、私に「降りろ
」と言いました。

私はあっという間に電車から降ろされ、4人の男性に取り囲まれました。
もう有無を言わせず、無賃乗車とされ、罰金徴収の紙に記入を始めて、40ユーロの罰金を払えと言われました。
確かに切符にはまだ印が押されていませんでしたが、状況も確認せずに無賃乗車とは酷い話です。
その英語を聞いて、「この程度の英語ならば、行ける(私に勝ち目がある)
」と思いました。

名前はと聞かれたので、「人の名前を聞く前に自分の名前を名乗りなさい
」

身分証明書を見せろと言われたので、「ユニフォームは着ていても、ニセ警官もいるような国だもの、あなたの身分証明書を先に見せなさい
」と言いました。

そんな英語でのやり取りに嫌気をさしたのか、3人はその場を去り、一対一になりました。
こうなれば絶対に負けない
と確信したので、車中での状況を英語で捲し立て、「それでも私に40ユーロの請求書を送ってきたら、I'll be back
(これは映画ターミネーターの名台詞
)」と言い「to YOU
」とその男の顔に指を向け睨みつけて言いました
最後の捨てセリフは「Don't forget that
」







(日本円で100円かそこらを誤魔化そうなんてするせこい、みみっちい女扱いをされたことに腹が立っていましたから、路上で思う存分暴れさせて頂きました
)

結局請求書は送って来ませんでした

(私がその場で支払いを拒否したので、相手は郵便で請求書を送ると言っていたのです)
何しろ私の英語の教師はデニーロ、アルパチーノ、デミムーア、シャロンストーン、最近ではジュリアロバーツと、怒ると口達者で怖い人ばかりですからね
いつも彼らの言葉を拝借させて頂いています


3)ドラックストアでの嫌がらせ
ある日閉店30分ほど前のドラッグストアに行ったら、既にレジのお金を数えている女性は明らかに嫌な顔をして、私の挨拶にも返事はしませんでした。
私はさっさと必要なものを買い、お釣りは1ユーロでした。
そうしたら、レジの横に山になっている1セント100枚(1ユーロ=100セント)の山を両手で私の方に押して寄こし、わざわざ嫌味な笑顔をゆっくりと私に向けました
勿論それを見た私の頭の中では、闘いのゴングが鳴りました

私は無言でそこから一枚だけコインを取りポケットに入れ、レジ横の99セントの歯磨き粉を買って、99個のコインを彼女が私にしたと同じように、彼女の前に両手で押しました。
そしてしら〜〜とお店を出て来ました。歯磨き粉はあっても無駄になりませんしね

こうした沈黙の反撃もMizko流テクニックの一つです。
今までの外国人とのお付き合いの中で感じたのは、日本人はおとなしい。強く反論しない。はいはい言うという印象を持っている人が多いことです。
ドイツでもイタリアでも日本人のモノマネをする人は、ペコペコお辞儀をして、「はい!はい!」と言います。
ですから、こうした私はこれまでに「本当に日本人か
」と言われたことも数知れず。

私は今までも同アジア人に対してだけではなく、欧米人にもはっきり「NO」も意見も言える日本人女性でありたいと思って来ましたし、これからもそうです。
今の自分になれたからこそ外国生活も楽になり、色々な国の友達が出来たのだと思います。
彼らには、私の日本人女性としての闘い振りには高い評価を頂いております

ミラノではBravaとよく言われます

それに素敵な人達と出会うためには、時には「変な人」と出会うリスクは避けられません。
これからもそんなリスクを恐れず、立ち向かい、まだ出会っていない、どこかの国の素敵なあなたとの出会いを楽しみにしているMizkoです

March 20, 2023
Mizko流外国生活生き残り術❤️〜Mizkoの思う外国生活に適する3タイプ
(写真:春爛漫のミラノより。今は家の外も中も花盛り
雛あられはありませんが、お雛様はまだ飾ってあります
)


その当時、既にある程度は海外生活も外国人の中に一人入ることにも慣れていた私でしたが、まだまだ弱く、その為ドイツ生活の始めの頃は辛い時を過ごしました

行動範囲を海外に広げるということは、それだけいろいろな人間に出会う訳ですから、今までに日本では言われたこと、されたこともない事が起きたりします。
それに日本を出たら、お客様は神様ではありませんからね

そうした時にただただ驚いて、即座に何も言えない、出来ない。
どんなに周りに私を助けてくれる人がいようと、一人の時に自分で対処が出来ない。
そのまま家に帰って、そんな自分が情けなく、私個人の問題だけではなく一日本人としても悔しく、どれだけ悔し涙を流したか分かりません

しかしそんな事で、現実に背を向けてノコノコと日本には帰れないということは、重々承知していましたから、自分が変わり、乗り越えるしか術はありませんでした

あれから長い年月経験を積み、色々な人に揉まれ、鍛えられて来ました。
今では、ドイツでもイタリア、いやどこに行ってもちょとやそこらでは負けない私になりました

2)されたり言われたりしたことを納得していないが、「長いものには巻かれろ」で、我慢が出来る人(忍耐力のある人)

そして私はタイプ3)です。
1日の内に一回くらい納得の行かない態度を取られたり、言われたりしてもやり過ごせますが、1日に何度もそうした思いをすると鈍感力も忍耐力もない私にとっては精神衛生上良くありません。そうした相手にその時の思いを爆発させると、心に怒りも残らず、スッキリするものです。
それは正義とか相手を理解させる為ではなく、自分の怒りの解消法です。
外で受けたネガティブな感情をその場で解消し、決して持ち越さない為です。
そうしたことを重ねると、日々私の心には何も不快なものはなく、ストレスフリーでいられます。

また日本ではスムースに行くことも、ガンガン言わないと事が進まないこともたくさんあります。
それにしつこい物売りや物乞いを追っ払えません。
最近もDuomo広場で物売りがいたので、適当にあしらってその場を去ろうとしたら、腕を捕まれ、離そうとしません。結局はその男を睨みつけ、お腹の底から声を出し「Hey
何するのよ
」と怒鳴ったら、私の腕は自由になりました。



私もいちいちエネルギーを使うのが面倒な時もあるので、物乞いも無視していたら、どこまでも「お金ちょうだい、お金ちょうだい」とついて来られたので、ズカズカと正面まで行って、「あなたにあげるお金なんて無い
そんなにお金が欲しいなら、働けばいいでしょ
」と怒鳴ったら、去って行きました。


そうも言いたくなりますよ〜小ぎれいな服を着た女性で、咥えタバコ、そして最新のiPhoneを持っていて、サイトを見ながら、その合間に「お金ちょうだい」ですから

本当に海外生活、のんびり、グズグズ、もたもた、はんなりしちゃ〜いられません

次回は、20代半ばの当時の私が自分を変える為に反撃を開始したお話をしますね〜

家に帰って悔し涙を流していたMizkoにバイバイ
「暴れん坊Mizko」の誕生です

