February 2018

February 22, 2018

外は雨で寒くても、Mizkoの心の中は太陽燦々

本日のミラノは、冷たい小雨も降り、さむ〜い一日でした
ここの所スカッと晴れる日が少なく、私の周りのミラネーゼさん達もウンザリ気味IMG_2187

IMG_2189うんざりしていても、こればかりは仕方がないので、自分から楽しまないとねっ
じゃないと、気持ちもど〜んと落ち込んじゃいますからね

先ずは美味しい物を食べないと
寒い、(太陽が出ないで)暗い、腹減った〜〜〜じゃ、気持ちは晴れませんからね

で、先日、買付け先近くで、最近見つけたシチリアンレストランのランチに行ってみました(写真右上)
人気のお店のようで、所狭しと置かれたテーブルは満席
ランチメニューは、一皿目はリゾットかパスタ2種類から、メインはお魚、お肉、お野菜から選べて、パンとグラスワインと、500mlのミネラルウォーターが付いて10ユーロ(写真左上)
私はリガトーニとお魚を選びましたが,美味しかったです
日本では、平日のランチに、ビジネスマンがお酒を飲む事はありませんが、こちらでは、軽くワインやビールを飲んでいる人は結構います。シチリアの白ワインが美味しゅうございました〜IMG_2197

IMG_2208昨日は、あまりの寒さに、最近出来たエノテカに飛び込みました。
本当ならば、こんな寒いときには、「熱燗くださ〜い」と言いたい所ですが、ミラノですから赤ワインで体を温めました(写真右)
赤ワインをおかわりして、今度は体を温め過ぎたので違うお店で、だ〜い好きなフランチャコルタを飲んで、体温調整して帰宅しました(写真左)

毎週木曜日には、家の直ぐ横から沢山の露店が出るので(ストリートマーケット)、お野菜や果物、パンはそこで買います。それとお花
お花が大好きだった両親に育てられたせいか…私もお花が大好きで、お花一つ部屋に無い生活はしたくない
本日買ったのは、水仙と大好きなアネモネ(写真右)IMG_2213
水仙50本とアネモネ40本で、15ユーロのところを13ユーロにオマケしてくれました
お花も安いのが嬉しい
いくつかの大小の花瓶に分けて入れて、全てのお部屋、バスルームにも飾ります。
寒くて可愛そうな鉢のお花も、今は室内の床に置いているので、外は暗くて冷たい雨ですが、只今私の家はお花一杯で、既に春爛漫そしてMizkoの心の中は太陽燦々で〜す




madame_mizko at 21:20|PermalinkComments(0)

February 17, 2018

あなたに逢いたくて…マリア様を巡る旅

IMG_1920ミラノに戻ってから、Duomoやご近所の教会にはお祈りに行ったものの、IMG_1933
やっぱりあなたに逢いたくて…どうしても逢いたくて…
で、逢いに行って来ました


Iseo湖畔の小さな街、Sarnico。冬枯れた湖畔の街並が切ないほどロマンチック
(写真上左右)

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その町の丘の上にある教会のマリア様との再会。
あなたは相変わらずお美しいIMG_2010
(写真左右)




IMG_1950湖畔の風は冷たいけれど、風に誘われてブラブラ歩いて見つけた教会で、初対面のマリア様。あなたもお美しい
(写真左)




そしてその後はCaravaggioに向かいました(写真左下)
バロック期の画家カラバッジョが少年時代を過ごしたという町ですが、私のお目当ては…聖母の出現があったと言われ、出現地は泉が湧いて聖域とされ、イタリアの巡礼地として高名になった、聖堂のマリア様との再会(写真右下)
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IMG_6727暖かい季節には、沢山の人が訪れるのですが、この時期にはほとんど人がいません。それが、ちょっとMizkoは腑に落ちない
寒いから行かないとはどういうこと
祈る心ってそんなものではないのでは
まっ、そのお陰で、静か〜な中で厳粛な時間を過ごせました

IMG_2033地下にはIMG_2034その湧き水、聖水が汲める場所があります。
(写真左下2枚)
私も毎回そのお水を頂いて来ます。その側にもマリア様が…(写真右)

お水はとっても冷たかったですこのお水は小瓶に入れて、日本のあなたへも


IMG_2036その帰りに初めて行った、Cremaという町でも、また如何にもお優しそうなお顔のマリア様と出会いました(写真右下)
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IMG_2071そして本日はミラノで、これまた初めて行った教会でこんな美しいマリア様に出会い、一目惚れ(写真左)

宗教云々は全く関係無く、こうして美しいマリア様の前に立つと、心が癒され、優しい気持ちになり、祈る気持ちが自然と湧いてきます
日常の慌ただしい時間に流されるだけではなく、こうした厳粛な時間も大事にしたいものです





madame_mizko at 04:14|PermalinkComments(0)

February 09, 2018

生と死の分かれ道

沢山の旅をして来た私の人生の中で、説明のつかない何かの力に助けて頂いたと思うようなことが何度もありました
IMG_1885(写真:ぶらりとミラノにて)
そしてその中でも一番忘れられないのは、2004年12月26日のことです。
Readerの皆さんは、その日に何が起こったか覚えていらっしゃるでしょうか
それは、『スマトラ沖地震』が起きた日です。

その頃私は、まだMizko's Via Marconaをオープンしていず、日本とミラノを定期的に行ったり来たりしていました。
そしてその行き来には、バンコク経由のタイ航空を使っていました
私とタイとのお付き合いも大変長く(そのお話はまた後日として)、バンコクには行き帰りに寄っていたので、常宿としているホテルに衣類を預けているほどでした

この時は日本での仕事を終え、タイでクリスマスとニューイヤーを過ごしてミラノに戻るという、2週間の旅でした

それまでの私は、ビーチホリデーが大好きで、タイでも色々なビーチを旅していましたIMG_1894

昔タヒチのボラボラ島でハリケーンに遭い、珊瑚礁(ラグーン)の外の小さな島が、高波に飲み込まれるシーンを実際に見て恐ろしくなりましたが、ラグーン内であれば安全だという安易な気持ちでビーチホリデーを続けていました

この2週間のスケジュールは、最初の一週間はいつものバンコクのホテルで過ごし、後の1週間はビーチホリデーを計画していました。
そして選んだビーチは、当時新リゾートして脚光を浴びていたKhao Lak(カオラック)でした。
カオラックは「スマトラ沖大地震」で一番被害の大きかった場所です

この災難から逃れられたのは、先ずは、どうしても現地のホテルの予約が取れなかったことと、バンコク入りしてから、どうも私の体調が優れなかったために、カオラック行きを諦めたからでした
体の不調は、頭が痛いわけでも、熱が出たわけでもなかったのですが、今まで感じた事が無いような、言葉では説明が出来ないような違和感がありましたIMG_1900

地震前日25日には、明朝カオラックに行くという外国人夫婦と出会い、私は、まだカオラックのホテルが確保出来ていないことを話し、「もし今夜にでもカオラックのホテルにキャンセルが出たら、私も明日カオラックに行くわ。そうしたらカオラックでも会いましょうよ。」と私は言って、2人と別れました。

そうは言ったものの、その夜どうしても体調が優れなかったので、私はカオラック行きは諦め、この2週間はバンコクに留まることを決めました。

26日はお天気も良く、チャオプラヤ川沿いのレストランで朝食を食べ、そこにはいつもと変わらぬ静かな時間が流れていました
部屋に戻ると電話が鳴りました日本からです。
当時のスタッフが電話の向こうで泣いているのがすぐ分かりました。IMG_1903
それでスマトラ沖で大地震が起こったことを知りました
彼女にもカオラックに行くと言って来たので、もしかしたら被害に遭ったのではと思って、電話をして来たのです。

なかなかニュースが入って来ず、様子が分かるまでかなりの時間が掛かりました。
暫くしてから、中でもカオラックの被害が酷いことを知り、次々と津波に飲まれるホテルをテレビで観ました.
その時の私はただただ神様に手を合わせていました
同時に前夜に会った2人を思い出し、彼らも巻き込まれたに違いないと思い、涙が止まりませんでした

地震から3日ほどたった午後、私は自分の目を疑いました。
25日の夜に楽しく会話した彼女がホテルにいました。
彼女も私の顔を見てびっくりしています
お互いに「生きてたのね〜」と泣きながら抱き合いました。IMG_1902

彼女は、数日私の姿が見えないので、ホテルに空きが出てカオラックに行き、被害に遭ってしまったのではと思っていたようです。

そして彼女は何故ホテルにいたのか
彼女が言いました…『Mizkoと会った後部屋に戻ったら、急に高熱が出て、行かれなくなったのよ。風邪も引いていなかったんだけれどね。』

生と死の分かれ道…
この時の私達は、何か見えない力に助けて頂いたと信じていますIMG_1906

感謝の気持ちで一杯で、バンコクに行けば、必ずお寺のお参りは欠かしません

こうして繋ぎ留めて頂いた命は、これからも大事に、そして熱く燃やし、少しでも人様のお役に立てるように精進して生きて行きたいと思います。

あの時命を落としていたら、あなたにも出会えなかったですものね…
今日の日のこの命に感謝乾杯(写真右)



madame_mizko at 22:40|PermalinkComments(0)

February 04, 2018

Mizkoの祈りは心のままに…

IMG_1741ミラノに戻ったら、矢張りDuomo(大聖堂)にお祈りに行かなければ、ミラノの生活が始まったとは言えません
いつ見ても、何度見てもDuomoの美しさには溜息が出る程です

Readerの皆さんは、Mizkoがお寺さんや神社、教会に行くことが多いと思われる事でしょう。
しかしここではっきりさせておきますが私は特別の宗教団体に入っているわけではありません
まあ私を良〜くご存知な方は、私が、そうした団体などに心を縛られることが大嫌いな人間だということもお分かりでしょうIMG_1757

IMG_1752私と神様とのお付き合いは、飽く迄も自由に私の心のままに…強いて言えばMizko教です

小さな頃にお婆ちゃんっ子だったもので、ご先祖様のお墓参りや毎日お仏壇に手を合わせることが、小さい頃から当り前でした。

学校に通学するようになると、小学校、中学校、高校、大学と、青山通り(246通り)にある「善光寺」さんで、登校と下校時に手を合わせていました。

小学校の夏休みには、原宿にある教会のサマースクールに行くようになり、今度は教会にも興味を持つようになりました。特にマリア様に惚れ込みいつもマリア様のメダイのネックレスをしているような子供IMG_1802時代で、そのマリア様ファンは未だに続いております

(写真左:私が良く乗る9番のトラム。トラムの側面には、何と可愛らしい日本の舞子さんが…日本への往復航空券が519ユーロから〜との宣伝


まだパワースポットだのスピリチュアルだのと騒がれていなかった頃には、一緒にお寺巡りをする、「寺友(てらとも)募集中」でした

色々な国に行くようになると、宗教に拘らず、旅先の神様にご挨拶するようになりました。
お祈りの仕方が分からないと、地元の方々に教えて頂きました。
それにしても色々なお参り(お祈り)の仕方がありましたIMG_1803

またその土地その土地の人達が信じている神様だけではなく、お守りにも興味を持ちました。
アフリカのサバンナ奥深いところでは、動物の小さな骨だの、木の実だったり…

仏教で一番印象に残っているのは、ラオスの古寺で、お坊さんの前に正座して、一対一で有り難いお話と厄よけをして頂いた時です

お世話になる土地の氏神様へのご挨拶は大事だと思っています。
そして、今回はミラノの大聖堂へIMG_1805

私の今までの人生の中でも、神も仏もいないのではと思う苦しい時もありましたが、何かの力に助けられて今の自分がいることを確信しています。

沢山の旅をして来て、色々なネガティブな事も山程ありました
私は思っています…その80%は自己責任の問題で、これは自分次第で防げます。
しかし残りの20%は、自分で防ぎようもないことで、これが怖いのですIMG_1810
そしてそれを何かの力で助けて頂いて、今の私がいると信じています

クリスマスの頃になると、あの時のことを思い出さずにはいられません。
14年前のあの日も、何かの力に助けて頂きました
そのお話は次回に…



madame_mizko at 19:00|PermalinkComments(0)