April 2017

April 23, 2017

ドイツ国際平和村とMizkoの支援活動

ミラノはすっかり桜も終わり、新緑が美しい季節となりました(写真右)Unknown

前回に続き平和村のお話です。

私がドイツ国際平和村への支援活動をして行く上で、「何で日本ではなく、海外の支援を」という質問を良く受けます。

その答は…
私は、20数年前にふとしたことでこの平和村の存在を知り、今の活動を始めました。
その後平和村はテレビ番組で紹介され、日本から沢山の寄付を受けることが出来ました。
しかし私がこの活動を始めた頃と今ではすっかり日本も変わってしまいましたUnknown-13
アジアのリーダーの地位からは退き日本各地で大きな災害に見舞われました
そうなると、日本からの援助が減ってしまうのも仕方のないことです
ですからこそ、私に出来る限りの協力はさせて頂きたいと思っている訳です。

(写真右:平和村にて。子供達が作ったものです。可愛いですね〜やっぱり女の子の興味はファッションなんですね

色々な支援活動がありますが、正直な所支援物資が、果たしてそれを必要としている人にちゃんと届いているのか募金はどういうことに使われているのかという疑問ってどなたでもお持ちだと思います。
私もその一人です
そういう疑問を持ちながら支援活動をしたくないので、現地まで行き、この目で見て、直接お話をさせて頂いているのですこれ程確実なことは無いですからね

相手を信用しているいないの問題ではなく、自分の大事なお金を資金とする訳ですから、その行方をちゃんと見届けたいというのは当然だと思います(写真右下:平和村の食堂)

私は支援活動の際に、相手方にもはっきりそのことをお伝えしています。
Unknown-16
タンザニアのプロジェクトでは、結果的に私のお金が形となり、この目で見る事が出来、子供達と村人2000人の笑顔も十分に見る事が出来ました

ドイツ平和村への支援物資は、直接物資を運びますから、当然子供達に行き渡ります。
平和村にもタンザニアのプロジェクトのお話はしていますし、タンザニアでお金を使ってしまったので平和村へは、物資での支援をさせて頂きますとお伝えしています

Unknown-14私のタンザニアのプロジェクトは生活、教育の基礎を作るまでが私の責任で、継続的な支援ではなく完結型です。それはその後の彼らの独立心を育む意味もあります。
タンザニアに新たな支援をする時には、また新たなプロジェクトになります。
こうした完結型支援には、ある程度まとまった資金が必要です

(写真上下:平和村にて。支援物資の服に穴が開いていたり、不具合が無いかをチェックして、平和村のセカンドハンドショップの商品とするもの、子供用と分け、子供用も季節別、男女別、年齢別に分けるお仕事をしている方にお会いしました。これも大変なお仕事だと思いました

私の平和村への支援は、継続的な支援活動です。自分の出来る範囲でコツコツ続けて行く事が目的です。

Unknown-15私は日本の支援活動を全くしていないわけではありません。
しかし抱えている二つの支援活動で手一杯ですから、小額の一時的な募金以外はしません

あっちもこっちもと資金に余裕があれば別ですが、そうでなければ支援先への心を揺らすことを良い事だとは思っていません
その理由は、私の支援活動は子供が相手ですから、矢張り一度関わった子供達に決して背を向けたくないというのが私の心情です。

支援活動と一言で言っても、色々な形での参加が可能ですから、先ずは自分の出来ること、出来ないことをはっきりさせ、どういう形で参加するかをきちんと決めることが大事だと思います

支援活動では、支援する側される側に上下の立場があってはいけません環境が支援を必要としているだけで、人個人の優劣の問題ではありません。(この点を誤解している方にも多くお会いしました

結局支援活動とは、『Amore』を分かち合うことだと私は思っています

平和村について、長々お付き合い頂き有難うございました
最後に…平和村で会った子供達全員が、元気に故郷に帰り、両親と一緒に無事に暮らしていけますよう…




madame_mizko at 23:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) イタリアにて 

April 16, 2017

7周年を迎えて…ドイツ国際平和村の子供達のこと

本日4月16日、Mizkoのショップは7周年を迎えましたUnknown

そして本日はPasqua(パスクワ=イースター)休暇に出ている人、閉店しているお店も多く、静かなミラノです。
(写真右:2017年のPasqua飾りは、ドイツでゲットしました

ど素人から始めたこのお仕事でしたが、7年の時を経て、子供達の支援に繋がったことを心から嬉しく思っております

お客様、スタッフ、私を支えて下さった全ての方々に心から御礼申し上げます
これからもショップとMizkoをどうぞ宜しくお願い致します

今回のドイツ国際平和村では、ここでの仕事に長く関わり、以前から知り合いの日本人スタッフの方にお付き合い頂きました。
Unknown-9
現在平和村に滞在する子供約100人。
多くがアフガニスタン、アンゴラの子供達です。
多くの子供達が車椅子だったり、足に器具を着けていました。病気の多くが骨髄炎だそうです。

平和村との20年以上のお付き合いの中、子供達の病状も違ってきました。
以前は、地雷を受けて負傷していた子供達や奇病の子供が多かったように記憶しています。

この世界で起きていることを心底恨みたいほど、本当に悲惨な病状の子供達にも会って来ました。

いずれにしても、母国ではケガや病気も適切な医療が受けられず、そのままにしていたら足を失ったり、命さえも落としていたかもしれない状態であった子供達です。
Unknown-12
とっても元気そうにサッカーしている子供達もいて、どうして平和村に来ているのだろうと思うのですが、見えない所(内臓)を患っているんですね

車椅子でも、足に器具を付けていても、子供達が、「ハロー〜〜〜」と声を掛ける私に見せる笑顔がとっても愛おしかったです

本来は2歳から11歳の子供を受け入れているのですが、何度も治療でドイツに来る内に、それ以上の年になった子供にも今まで沢山会いました。

以前16歳のアフガニスタンの女の子達がいて、彼女達はすっかりお年頃のお嬢さん
しかも背の高さも胸の膨らみもMizkoはすっかり負けていて「あら〜あなた達の方が私よりマダムらしいじゃないの〜本当は16歳じゃなくて、36歳なんじゃないの〜」とふざけて言ったら、皆大笑いしていましたっけ〜

私が通い初めてから、施設も随分広がり、大きくなりました。
そして平和村は今年50周年を迎えます。しかしこの両方共、喜べる事ではないのです
平和村のような施設が必要な世界ではいけないのですこのような場所が存続してはいけないのです

現実はどうでしょうUnknown-10
平和な世界は全く見えませんね…というより、益々悪くなっているように思えます
ですから平和村のような活動には終わりが見えないのです

私は今回の平和村への訪問で、自分のちょっとした工夫で、まだまだ協力出来ると実感しました
次回の日記でお話しますので、この機会に一度ご覧下さい

写真は平和村の子供達のキッチンに貼ってあったものです。
平和村は飽く迄も治療の場ですから、学校のような勉強はなく、簡単な算数や工作(リハビリでもあります)、母国に帰った時に役に立つようにお裁縫を習ったり、お料理を通して、他国のことも学びます。う〜ん、私も皆と一緒に学びたい
アンゴラやアフガニスタンの国土の広さや人口を知らない方、この際ここでお勉強してください



madame_mizko at 00:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) イタリアにて 

April 11, 2017

ドイツ国際平和村へAmore宅急便を届けて来ました!

Trip to FRIEDENSDORF INTERNATIONAL (Peace Village International) in Germany.
In April, I visited FRIEDENSDORF in Germany and contributed  our charitable donation such as children clothes, toys, bags and everyday commodities.
Since 1967, Friedensdorf International has worked with wounded children from war-torn and crisis areas, mainly from Afghanistan and Angola, who need medical treatment in European hospitals. After appropriate treatment the children stay in the Peace Village Care Station in Oberhausen, Germany for rehabilitation until they return to their native countries and to their families. The children range from 2 years up to 11 years of age.


今回のドイツへの旅の大きな目的は、3年間コツコツと溜めた支援物資を、Unknownドイツ北西部オーバーハウゼン市にあるドイツ国際平和村(写真左右)に届けることでした

Unknown-4この日記でもドイツ国際平和村については度々書いていますが、その3つの活動が以下の通りです。
詳しいインフォメーションは、ネットで、「ドイツ国際平和村」で検索してください
☆母国で治療を受ける事が出来ないケガや病気を抱えた子供達の治療をヨーロッパで行っています。
☆現地の医療状況向上を目指したプロジェクト活動を行っています。Unknown-5
☆平和への関心を高めるための平和教育活動を行っています。

(写真右:京都でのお仕事のご縁も出来ましたし、国内でも旅が多いので、滞在先でのアメニティーもしっかり頂いてこの通り。今回届けた3年間のホテル滞在分はこの倍以上あります。子供達だけではなく、平和村のスタッフが海外に行く時にも利用出来るでしょう


子供達は病院で治療を受けた後にこの平和村にて、リハビリを受けながら母国に帰る日を待っています。
その子供達への衣料、おもちゃ、日用品等を2〜3年に一度車で運んでいます。かれこれ20数年のお付き合いになります。

支援物資を集めるに当たり、今何が必要なのかをスタッフの方に教えて頂いたり、子供達と会って直接知るために現地まで行っています。

今回は以前皆さんにお知らせしましたように、前回の京都、東京での売上の一部を支援活動の資金に加えさせて頂きました。
(写真左下:京都のお客様から頂きましたNさん御夫妻、有難うございます。平和村のイベントで使うそうです
Unknown-8私のタンザニアのプロジェクトは、教室、教員宿舎の建設と、安全な水の供給で、教育と生活の基礎を作るというものでしたが、平和村では、世界がもっともっと平和にならない限り活動が終わる事がありません残念ながら終点が全く見えないのです
ショップではまだまだ大したことが出来ないから、月日をかけてこれだけお金を溜めてからやろう…では到底間に合いません今出来ることを今直ぐ行動に移すそう決意しました。
僅かですが、それでも子供達への新しい下着や可愛い服、移動に必要なバッグが結構買えましたし(写真右下:MizkoのKidsコレクション、結構可愛いでしょうそれと私が3年間集めた物資で車のトランクは一杯になりました。(写真左下)Unknown-7

Unknown-1こうしてMizko's Via Marconaのお仕事を通し、色々な町を歩き、素敵な方々とお話して仕入れた商品の数々が、日本の皆さんに喜んで頂き、沢山お買い上げ頂き、子供達の支援活動に繋げられたことを本当に嬉しく思っています

Mizkoの商品をお買い上げ下さった全ての皆さん、本当に有難うございます
Unknown-2そして買付け先の皆さんにも心から感謝しています
勿論私をサポートしてくれる東京、京都のスタッフ全員、本当に有難う
これからも皆さんの笑顔が子供達の笑顔に繋がるように、頑張って行きたい(生きたい)と思います。Unknown-3

(写真右:支援物資置場にある子供達が作った「DANKE,ありがとう」)
次回は国際平和村の近況をお知らせしますので、是非ご覧下さい。
そしてなかなか知り得ることが出来ないこうした子供達の存在を知ってください




madame_mizko at 13:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 08, 2017

MizkoのAmore宅急便、3000㌔走って届けて来ました!

Unknown-1さ〜て日記では、ドイツに行った切りになってしまいましたがUnknown
その間日記をゆっくり認める余裕も無く、ミラノに戻って来てしまいました
前回のドイツ、ニュールンベルグからデゥッセルドルフへ向かい、今回の旅の一番の目的地へ。

(写真右:Duesseldorf=デゥッセルフドルフは、日本人町としても有名です。バブル時ほどではありませんが、ちょっとした日本です写真左2枚:ここでの楽しみは『わんこビール』小さ目のグラスに入ったビールがストップと言うまで次々に運ばれて来て、まるで日本のわんこそばみたいなので、Mizkoは『わUnknown-2んこビール』と呼んでいますお昼間から地元の人で一杯です
Unknown-4

そして帰りには、Netherlands〜Belgium〜Germany〜再度Netherlands〜Belguim〜Luxembourg〜France〜Germany〜Austria〜Italyと走りつい数日前に戻りました。
(写真右:City Hall in Aachen=ドイツ、アーヘンの市庁舎)

島国である日本の感覚では、同じ国を出たり入ったりしているようですUnknown-7が、行きとは違うルートを選びましたが、全てがドイツ、デゥッセルフドルフからのミラノへの帰り道。
知らない間に国境を越えているのも、EU諸国を車で走る面白さでもあります
Unknown-3
(写真左右の標識:高速道路や畑の真ん中にこうした標識が立っているだけなので、見過ごすこともしばしば。通貨も同じなので、あまり異国に来た感じはありません。ただ、国境を越える度に携帯がピーピー鳴り、ネットワークが変わったことを知らせます

いつもと違ったルートからインスブルックにアプローチしたら、アルプスの山のど真ん中でヨーロッパUnknown-6各国からの多くのトラックで渋滞ノロノロと何度山を登って下りの繰り返しをしてもインスブルックに辿り着けず迷子のMizkoその内雨は降り出し、辺りは真っ暗になってしまったので、知らない村のホテルに飛び込んで、ちょっとしたアドベンチャーでした

アルプスの山のど真ん中でも、渋滞に遭うんですよ〜Unknown-8
今年はどこも暖かくなるのが早く、どこでも桜が満開でした今年ほど桜を見た年はありません

Unknown-9写真左右:Cathedrale Notre Dame de Strasbourg=フランス、ストラースブール大聖堂。何度も訪れていますが、フランスには他に無い、ドイツにも無い、しかし両方の魅力を持つ不思議な町です。大聖堂とステンドグラス。)

さて今回の旅の大きな目的とは…ドイツ国際平和村の子供達に支援物資を運ぶことでした。
ミラノから往復3000㌔、3年掛けて集めたMizkoの精一杯のAmoreを込めた支援物資、『MizkoのAmore宅急便』を届け、子供達との心に残る時間を費やして来ました。そのお話は次回
アッ!MizkoのAmoreはこれで燃え尽きてはいませんよ〜益々燃え上がっております



madame_mizko at 19:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)