January 2016
January 14, 2016
タンザニア学校プレジェクトの原点
前回の日記でお話しましたように、横浜には、私の海外への扉を開いてくれたような思い出があり、外国で生活し、色々な国を旅するMizkoの原点です
そしてもう一つの原点も同じく横浜にあります
それは私のタンザニア学校建設プロジェクトの原点です
私はアフリカに大変感謝をしています
17歳の時初めてアフリカ(ケニア、タンザニア)に行き、その後何度もアフリカを旅し、他国では経験出来ない経験を通し、沢山の事を学びました
そのアフリカと、父亡き後女手一つで育ててくれた亡き母への感謝を込めて、母の名前で学校を建て、アフリカにも母にも恩返しがしたいと思って、このプロジェクトを決心しました
当時日本人の誰に話しても驚くばかりで、残念ながら全くまともには受け取ってもらえず、私の東京在住の外国人ネットワークを酷使して、協力を呼び掛けました
同じ話を何十回したか分かりません
プロジェクトを決心したものの、どのようにしたら良いのか、費用はどのくらいかかるものなのか…
兎に角情報が欲しかったのですが、どこからスタートして良いのかも長い間迷っていました
しかし外国人ネットワークのリスポンスは夢のように早かったです
瞬く間に人から人へ、そこからまた次の人へと国籍を越えて流れ、辿り着いたのが横浜の「港の見える丘公園」入口の真っ正面にある「YOKOHAMA INTERNATINAL SCHOOL」でした(写真右上)
その頃丁度この学校でも、父兄の寄付で、海外に学校を建設するプロジェクトを行っていました。
この学校からまたある団体を紹介して頂くのですが、ここが私のタンザニア学校プロジェクトの原点と言っても過言ではありません
2016年は原点からの再スタートと決めたからには、矢張りここを訪れなければ思い、行って来ました。
あの日の事が甦りました……
プロジェクト担当の先生とお話をさせて頂き、やっとスタートラインに立てた喜びと、沢山の方々の協力が有り難くて有り難くて、学校から出た時には涙が出ました
前からの知り合いでもなく、たった今お会いしたという方も何人もいらっしゃいましたが、私の思いを真剣に聞いて下さり、すぐに手を差し伸べて下さいました
このプロジェクトは、色々な国籍の沢山の方々の協力で実現しました
中でも、学校のネームプレートのデザインと作成は、日本で母にも会った事がある一人のドイツ人がしてくれました
(写真左:「なんで赤字なの?」と聞いたら、「日の丸🇯🇵を意識した。」と答えていました)
しかしその人は2015年夏、病気で亡くなりました
タンザニアの学校プロジェクトの原点に戻った今、心から冥福を祈ります。合掌
こうしてMizkoの人生の重要な原点が二つもある横浜は、私にとってとてもSpecialな場所です
そしてもう一つの原点も同じく横浜にあります
それは私のタンザニア学校建設プロジェクトの原点です
私はアフリカに大変感謝をしています
17歳の時初めてアフリカ(ケニア、タンザニア)に行き、その後何度もアフリカを旅し、他国では経験出来ない経験を通し、沢山の事を学びました
そのアフリカと、父亡き後女手一つで育ててくれた亡き母への感謝を込めて、母の名前で学校を建て、アフリカにも母にも恩返しがしたいと思って、このプロジェクトを決心しました
当時日本人の誰に話しても驚くばかりで、残念ながら全くまともには受け取ってもらえず、私の東京在住の外国人ネットワークを酷使して、協力を呼び掛けました
同じ話を何十回したか分かりません
プロジェクトを決心したものの、どのようにしたら良いのか、費用はどのくらいかかるものなのか…
兎に角情報が欲しかったのですが、どこからスタートして良いのかも長い間迷っていました
しかし外国人ネットワークのリスポンスは夢のように早かったです
瞬く間に人から人へ、そこからまた次の人へと国籍を越えて流れ、辿り着いたのが横浜の「港の見える丘公園」入口の真っ正面にある「YOKOHAMA INTERNATINAL SCHOOL」でした(写真右上)
その頃丁度この学校でも、父兄の寄付で、海外に学校を建設するプロジェクトを行っていました。
この学校からまたある団体を紹介して頂くのですが、ここが私のタンザニア学校プロジェクトの原点と言っても過言ではありません
2016年は原点からの再スタートと決めたからには、矢張りここを訪れなければ思い、行って来ました。
あの日の事が甦りました……
プロジェクト担当の先生とお話をさせて頂き、やっとスタートラインに立てた喜びと、沢山の方々の協力が有り難くて有り難くて、学校から出た時には涙が出ました
前からの知り合いでもなく、たった今お会いしたという方も何人もいらっしゃいましたが、私の思いを真剣に聞いて下さり、すぐに手を差し伸べて下さいました
このプロジェクトは、色々な国籍の沢山の方々の協力で実現しました
中でも、学校のネームプレートのデザインと作成は、日本で母にも会った事がある一人のドイツ人がしてくれました
(写真左:「なんで赤字なの?」と聞いたら、「日の丸🇯🇵を意識した。」と答えていました)
しかしその人は2015年夏、病気で亡くなりました
タンザニアの学校プロジェクトの原点に戻った今、心から冥福を祈ります。合掌
こうしてMizkoの人生の重要な原点が二つもある横浜は、私にとってとてもSpecialな場所です
January 03, 2016
2016年最初の日記…「原点に戻って」
明けましておめでとうございます
皆さんのご健康とご多幸を心よりお祈り致します
本年もMizkoとショップを宜しくお願いします
さて、本来ならば今年最初の日記は、元旦にUPしたかったのですが、どうしてもこの写真が必要だったので今日になりました。
これは横浜の「山下公園」です
「山下公園」は、私にとってとても大切な思い出と意味があります。
それを2016年最初の日記でお話させてください
私に外国に行く事を決心をさせてくれた場所が、この「山下公園」でした。
それは小学生になったかならなかった頃だっと思います
母が横浜が大好きで、父と三人でこの「山下公園」に来た時のことです。
その頃には、この写真とは違い、海を遮る物も少なく、海がどこまでも続いて見えました。
その時海外を行き来していた父が、その海の向こうを指差して
「海のずっと向こうには、Mizkoが知らない沢山の国々があるんだよ。」と言いました。
その言葉で幼い私の胸に火が点きました
「私も大きくなったら絶対に行ってみよう」
「山下公園」は、海外生活をし、沢山の国々を旅するMizkoの原点です。
2016年最初は、この自分の原点に戻って来ました。
あの遠い昔と同じ場所から海を眺め、今年はこの原点から、再スタートの年にしたいと思います
初心に戻り、改めてMizkoの人生の大四素であるAmore(愛) Passione(情熱) Sfida(挑戦) Avventura(冒険)に熱〜く臨みます。そして私の活動が1人でも多くの子供達の笑顔に繋がるように頑張ります
どうぞ皆さん、今年もMizkoを支えてくださいね宜しくお願いします
最後に…世界の平和を心から祈ります。合掌
皆さんのご健康とご多幸を心よりお祈り致します
本年もMizkoとショップを宜しくお願いします
さて、本来ならば今年最初の日記は、元旦にUPしたかったのですが、どうしてもこの写真が必要だったので今日になりました。
これは横浜の「山下公園」です
「山下公園」は、私にとってとても大切な思い出と意味があります。
それを2016年最初の日記でお話させてください
私に外国に行く事を決心をさせてくれた場所が、この「山下公園」でした。
それは小学生になったかならなかった頃だっと思います
母が横浜が大好きで、父と三人でこの「山下公園」に来た時のことです。
その頃には、この写真とは違い、海を遮る物も少なく、海がどこまでも続いて見えました。
その時海外を行き来していた父が、その海の向こうを指差して
「海のずっと向こうには、Mizkoが知らない沢山の国々があるんだよ。」と言いました。
その言葉で幼い私の胸に火が点きました
「私も大きくなったら絶対に行ってみよう」
「山下公園」は、海外生活をし、沢山の国々を旅するMizkoの原点です。
2016年最初は、この自分の原点に戻って来ました。
あの遠い昔と同じ場所から海を眺め、今年はこの原点から、再スタートの年にしたいと思います
初心に戻り、改めてMizkoの人生の大四素であるAmore(愛) Passione(情熱) Sfida(挑戦) Avventura(冒険)に熱〜く臨みます。そして私の活動が1人でも多くの子供達の笑顔に繋がるように頑張ります
どうぞ皆さん、今年もMizkoを支えてくださいね宜しくお願いします
最後に…世界の平和を心から祈ります。合掌