アフリカ・タンザニアにて

February 20, 2011

友人、マサイ族のJ-私が〇〇〇だったらお嫁さんにして下さい!

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写真:開校して2年後にやっとお水が供給出来ました。


さて、マサイのJについて出会いから4回に渡りお話して来ましたが、いよいよ最終回です。
彼についてはまだ山ほど話題がありますが、また次の機会にお話したいと思います。


2500人ほどの心が一つとなり、一緒に笑い、喜びに浸り、無事に学校のオープニングセレモニーは終わりました。


子供達や村の人々と別れ、その夜はホテルに戻ってから、プロジェクトの成功を祝っての祝賀会。
とても美味しいお酒でした。


私「それにしても、日に焼けすぎちゃって、真っ黒になっちゃったわ。」
J「でも、それは顔に色を塗ってるんでしょ?(ファンデーションの事)」
私「ううん、何にも塗ってないわよ~~。」
J「ええ~~~~~!Mizko…まるでタンザニアの人みたいだね~~~!」と50センチくらい上半身を後に引きながら私に言いました。

私「そこまでは黒くないわよ~~!でも日本では美白が流行っているから大変だわ~~!」(注意:確かにかなり日焼けをしましたが、写真の女性のように黒くはありませんでしたよ!)


その後でした・・・Jは私の真っ黒な顔を見ながら言いました。

「Mizkoがマサイだったら、僕は沢山のヤギと羊をあげるのに。」・・・マサイは花嫁にヤギや羊をプレゼントするようです。


今でもJは、たまに大きな町に行った時にメールを送ってきます。マサイの集落やサバンナではPCなんて関係なく生活していますからね。


恋愛感情に限らず、心から人を思うということは、距離とか時間とかそれぞれのおかれた環境を越えると私は信じています。いいえ、その位大きな気持ち、強い気持ちが大切だと思っていますし、そうでなければ地球の裏側にいる『友達』と呼べる人達とは、こんなに長い間心を繋げては来れませんでした。

強い気持ちがなければ、距離や時間やその場の環境に気持ちが負けて折角の出会いも風化してしまう・・・。

この大都会東京と遠いアフリカのサバンナという全く違う環境の中で離れていても、Jはこの地球上に存在する私の信頼出来る大切な友達の一人です。

彼もそう思ってくれているようで、サバンナのマサイの集落に遊びにおいで、皆で歓迎すると言ってくれています。牛の糞で出来たお家ですが…(!)。


タンザニアに行く前に来たメールの「いつでもどんな時にも全力で守ります。だから安心して来て下さい。」は言葉通りでした。

それにしても第一印象のあの意地悪は何だったんでしょう?!やっぱり男心は解りませぬ!

そして私がJに浴びせた罵声…「マサイの戦士はもっと逞しくて、勇敢な男だっと思っていたのに!」は、あれから直ぐに全撤回となりました。


あの時Jに言えなかった一言を今…私がもしマサイだったら・・・絶対お嫁さんにしてくだ~~い!














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February 18, 2011

友人,マサイ族のJーPart 3

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学校のある集落では電気も水もなく、寝泊り出来る施設はないため、何度も私達はガタガタ道を片道3~4時間で往復して、特に帰りは日没までにはホテルのある町へ帰らなければなりませんでした。その道中Jはいつも私を気遣ってくれました。

そしてホコリまみれでホテルに戻りシャワーを浴びる度に、多少濁っていようが、量にも制限があろうと、身近にお水があることの有り難さが身に沁みました。そして今戻って来た私の学校の子供達や家族を思いました・・・この当時は小さな子供達が片道5キロのところへ水汲みに行っていました。

彼らに必要なのは教育とお水である!どうにか学校の近くに井戸を掘り当てたい!いや必ず掘り当てて、新鮮なお水がいつでも近くで汲めるようにしなければならないと思いました。でなければ、小さな子供が往復10キロの道のりで水汲みに行っていたら、学校に来る時間がなくなります。

《私のこの目標は、この2年後に実現しました。今回の写真はその時のものです。》


夜はメンバーとホテルのレストランでのくつろぎの時間。
Jはいつも赤ワインを一杯だけをそれは美味しそうに飲みました。それに私も付き合いました。

その時のマサイ族の習慣や野生動物の話、そしてJ自身のサバンナ生活の経験の話は本当に面白かったです。マサイと一緒に赤ワインを飲みながらお話…なかなか経験できない?!


ある夜でした。

J「Mizko、どうしていつもリュックサックと一緒なの?部屋において来ないの?」と私に尋ねました。
実はその中には数年前亡くなった母のお位牌を入れていました。

それも海外あちらこちらに行く私のために、ご住職さんが小さめに作って下さいました。

この学校を建てるプロジェクトも亡き母への思いからですし、学校名も母の名前です。
そのため何処へ行くにも母のお位牌とは一緒でした。

その話をJにして、私は初めて母のお位牌を他人の手に渡しました。空港の手荷物検査の時でさえ「何だこれは?」と言われる度に、「私が見せるから触らないで!」と他人に触れられることを強く拒んで来ましたが、Jだったら…と言う気持ちで渡しました。

Jは両手で大事そうに受け取り、「これはMizkoのママの魂なんだね。」と言って、暫く眺めて私に返しました。

そして遂に開校式を迎えました。

子供達220人と村人2000人、それに政府のお役人さんやら教育委員会だの何だのと大勢が集まりました。
アフリカンビートで皆歌うは踊るわ。

私も皆の輪に入り踊ったり、スピーチをしたり、いろいろな方方へのご紹介を受けたり写真撮影と忙しい。
そんな中でリュックサックを持っていながらの行動はちょっと厳しい。そんな時Jが私に言いました。

「ママは僕が見ているよ。」
私「えっ???」
J「うん、僕が見ているから心配しないで!」

私は彼にリュックサックを渡しました。(ママ、マサイにびっくりしないかな~~?)

しかしJは、一度もリュックサックを足元に置いたり、その辺にほったらかしにすることはなく、私がしていたように大事に母のお位牌が入ったリュックをいつも抱いていました。

人の心というものは、国籍とか部族とかに関係するものではなく、その人次第だな~~とつくづく思い、Jの人柄には本当に感動しました。

両手が自由になったお陰で、私は開校式のセレモニーをローカルの人々と十分満喫しました。

全員ではありませんが、マサイ族も沢山いました。

正にテレビで見るような赤い布を纏った背のたか~~いマサイ族の男性達に紫の布を纏ったマサイ族の女性達・・・これは彼らの正装だそうです。Jが彼らに一言言ってくれるので、彼らも私が近づくことも写真を撮ることも受け入れてくれました。

マサイ族は「魂を取られる」と考えて、写真を撮られることを拒みます。
18歳で行ったタンザニアでは、それを忘れカメラを向けて、マサイにヤリを持って追いかけられました。


マサイの人達の視力の良さは有名ですが、Jにしても遠くの私から見ると豆粒みたいな物を指差して「あそこにゾウがいるよ」と言いました。

私はこの時かなり高度な双眼鏡を持っていましたが、それで見ても、どうしてもゾウにもカバにも見えない!!Jは「あそこにいるじゃない!Mizko、見えないの?おかしいな~~?」と言いました。面白いことは、私の双眼鏡を渡したら、それを覗いてJはビックリしていました。

彼にはどれだけはっきり見えたのでしょう? しかしマサイ全員の視力が良いのではないことも知りました。
と言うのも・・・Mizkoは見た!マサイの男性が近視でメガネをかけていました!


マサイの男性達がお得意のジャンプをし始めました。いやいやかなり高く飛ぶ!高く飛べるほど女性にもてるのです。マサイの女性達から歓声が上がりました。多分「〇〇さん、すてきィ~~~!」なんて叫んでいるのでしょう。

彼らに比べJはだめ。高く飛べない。町に住む時間が長すぎて、町の食事を食べ過ぎたようです。でも彼には私達を驚かす才能がありました。それは記憶力です。小さな事も複雑なものも、どんどんどんどん彼の頭にはメモリーされて行くようでした。

さあ~~いよいよ次回はJのお話の最終回です。
彼に言われた忘れられない一言・・・それに対して言えなかった私からの一言。
お楽しみに♪









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February 15, 2011

友人、マサイ族のJーPart 2

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写真:校舎は2棟で4教室。先生達の宿舎が2棟あり、4家族が暮らせるようになっています。

私の学校の開校式までの僅かな時間に私達はやることが沢山ありました。

ドイツで注文し、チェコで造られた学校の看板がドイツから送られて来るのを引き取り、学校まで運ばなければなりませんでした。

空港で受け取る際にもとんでもないほど沢山の書類を揃えたり、あちらのメンタリティーでなんだかんだと待たされました。

男性達が車外に出て行動するときにも、Jは私に車内に残るように言いました。それだけ昼間でさえも、女性がフラフラ歩けるところではないとのことです。車内と言えども、全ての窓は閉め、ドアはロックし、それでも見えるところには金目のものやカメラを置かないようにとJは言いました。

J自身も他のスタッフの手伝いで私から離れなければなりませんでしたが、数分おきに車に戻り、周囲から私を守ってくれていました。

治安の悪い地区でどうしても私が外に出なければならない時には、ぴったり私に寄り添い歩きました。ヨーロッパの男性のようにそんな時すぐに女性の手を取るようなメンタリティーではないですが、私を守ってくれていることは十分に伝わりました。
 
学校に向かうデコボコ道。四駆の屋根に縄で固定された100キロ近い重さの看板が、車の振動でずっこけて今にも落ちそうになる…その度に男性達は車を降りて、看板を縄で固定しなおす。少し走っては止まりの連続で、ただでさえ滞在しているホテルから3~4時間もかかる学校までが益々遠く感じます。

その間「村」と呼べる集落もほぼなくて、こんなサバンナの中に人々が住んでいることすらも最初は信じられませんでした。

男性スタッフ達は必要があれが、そこらでトイレ休憩をしていましたが、そんなサバンナの中では女性は???

するとJがいつも私を気遣って、私からトイレ休憩を要求しなくても、適度な間隔をおいて車を止め、「Mizko、あの木の後なら大丈夫だよ!」「あの蟻塚の後!」とだけ言いました。何と言う気遣いでしょう?!こういう言い方されると恥ずかしくありません!

「J…でもここライオン出てこない?」と私が不安に思うようなことも度々ありました。

それまでに何度もアフリカを旅していて、ライオンの恐ろしさは身に沁みていますから、Mizkoは野生のライオンがとっても怖い!!!Jは、「僕がいるから大丈夫!」と言うので、私も(マサイがそう言うんだから、信用するかあ~~)と恐る恐る車を降りて、指示された場所で用事を済ませ車に戻ろうとすると…Jが私に背を向けて、私が恥ずかしいと感じないくらいの距離で辺りを見張っているじゃないですかあ~~!

この人、本当にいつでも私を守ってくれるんだあ~と私は確信しました。

私は「J。有難う!もう大丈夫!」と彼の背中に声を掛けると、Jは初めて私の方を振り向き、私を車に乗せました。








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お待たせしました!引き続きマサイ族のJとの思い出ーPart 1

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写真:私の小学校の子供達も皆英語を学んでいます。皆、勉強が大好き!

Jは大学を卒業していて、当然のように流暢な英語を話していました。

約10日、私はJとほとんど一日中行動を共にしましたが、その間彼は毎日きちっと洗濯されアイロンの掛かったシャツを身に付けていて、見ている私も好感が持てました。彼のプライドのためにもお話しますが、よく誤解されるような体臭が気になるような事は一度もありませんでしたよ。
 
初めてJと食事のテーブルに着いた時でした。私は他のスタッフが理解しなくても私流に日本語で「いただきま~~す!」と食事に口をつけようとした時でした。

J:「Mizko、お祈りは?」
私:(マサイがお祈り???)

Jの父親が牧師さんで、彼もキリスト教とのことでした。もう一人の黒人のスタッフもお祈りしています。
その横でもぐもぐと食べ始めるわけにもいかず、それからの彼らとの食事ではお祈りが習慣となりました。
 
アフリカサバンナでの生活は時計はあまり関係ありません。大事なのは、日の出と日の入りの時間です。
まして電気のないような所では、暗くなったら寝るしかありません。寝る時間も早いかわりに起きる時間も早い。

日の出とともに出発です。毎朝Jは私に「今日は暑くなる」、「風が強くなるだろう」などと空を見ながら天気予報をしてくれました。

私:「これだけじゃ寒いかな?」と言うと、Jは「寒かったら、僕のマサイの赤い布を羽織ればいいさ」と言いました。最初の意地悪な印象と全然違う!

 
 
 
 





 



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もうすぐあなたに会いに行きます!

マサイ族の友人Jのお話をする前にまたお話したいことが出来ました。

Readerの皆さん、バレンタインデーは如何お過ごしでしたか?

イタリア、ドイツでは日本のように女性から男性にチョコをプレゼントする習慣はありません。
イタリアではこの後続く「女性の日」と共に男性からプレゼントを頂きますが。


さて今夜の私は眠れぬほど興奮しています!と言うのは長年夢に見ていたあなたにもうすぐ会いに行くからです。あなたの姿を見たら、泣いてしまうかもしれない・・・それとも呆然と立ち尽くしてしまうかもしれない・・・その位に恋焦がれていました。


Readerの皆さんには今すぐお話したくてたまりませんが、もうしばらくお待ち下さいね~!


夢は見るだけではつまらない!たった一度の人生!2011年春・・・Mizkoはまた一つ夢を実現します。













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