ミラノでの月の最後の日曜日はここ!生と死の分かれ道

February 04, 2018

Mizkoの祈りは心のままに…

IMG_1741ミラノに戻ったら、矢張りDuomo(大聖堂)にお祈りに行かなければ、ミラノの生活が始まったとは言えません
いつ見ても、何度見てもDuomoの美しさには溜息が出る程です

Readerの皆さんは、Mizkoがお寺さんや神社、教会に行くことが多いと思われる事でしょう。
しかしここではっきりさせておきますが私は特別の宗教団体に入っているわけではありません
まあ私を良〜くご存知な方は、私が、そうした団体などに心を縛られることが大嫌いな人間だということもお分かりでしょうIMG_1757

IMG_1752私と神様とのお付き合いは、飽く迄も自由に私の心のままに…強いて言えばMizko教です

小さな頃にお婆ちゃんっ子だったもので、ご先祖様のお墓参りや毎日お仏壇に手を合わせることが、小さい頃から当り前でした。

学校に通学するようになると、小学校、中学校、高校、大学と、青山通り(246通り)にある「善光寺」さんで、登校と下校時に手を合わせていました。

小学校の夏休みには、原宿にある教会のサマースクールに行くようになり、今度は教会にも興味を持つようになりました。特にマリア様に惚れ込みいつもマリア様のメダイのネックレスをしているような子供IMG_1802時代で、そのマリア様ファンは未だに続いております

(写真左:私が良く乗る9番のトラム。トラムの側面には、何と可愛らしい日本の舞子さんが…日本への往復航空券が519ユーロから〜との宣伝


まだパワースポットだのスピリチュアルだのと騒がれていなかった頃には、一緒にお寺巡りをする、「寺友(てらとも)募集中」でした

色々な国に行くようになると、宗教に拘らず、旅先の神様にご挨拶するようになりました。
お祈りの仕方が分からないと、地元の方々に教えて頂きました。
それにしても色々なお参り(お祈り)の仕方がありましたIMG_1803

またその土地その土地の人達が信じている神様だけではなく、お守りにも興味を持ちました。
アフリカのサバンナ奥深いところでは、動物の小さな骨だの、木の実だったり…

仏教で一番印象に残っているのは、ラオスの古寺で、お坊さんの前に正座して、一対一で有り難いお話と厄よけをして頂いた時です

お世話になる土地の氏神様へのご挨拶は大事だと思っています。
そして、今回はミラノの大聖堂へIMG_1805

私の今までの人生の中でも、神も仏もいないのではと思う苦しい時もありましたが、何かの力に助けられて今の自分がいることを確信しています。

沢山の旅をして来て、色々なネガティブな事も山程ありました
私は思っています…その80%は自己責任の問題で、これは自分次第で防げます。
しかし残りの20%は、自分で防ぎようもないことで、これが怖いのですIMG_1810
そしてそれを何かの力で助けて頂いて、今の私がいると信じています

クリスマスの頃になると、あの時のことを思い出さずにはいられません。
14年前のあの日も、何かの力に助けて頂きました
そのお話は次回に…



madame_mizko at 19:00│Comments(0)

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