一日本人で、それも一般人で、その上女性の私がタンザニアに学校を建てるまで Part 4『やっと辿り着いたスタートライン』イタリア式のバレンタインデー

February 08, 2015

一日本人で、それも一般人で、その上女性の私がタンザニアに学校を建てるまで Part 5『タンザニアに学校建設決定』

横浜での出会いは…
イギリス人から紹介されたアメリカ人は、横浜にあるインターナショナルスクールの先生でした
その学校では父兄から募金を集めて、海外に学校を建てたという経験をお持ちでした

その先生が、学校とタイアップしてこのプロジェクトを行ったNGO団体を紹介して下さることになりました
それで今度はそちらでお話をすることになりましたIMG_2203

(写真右:地下鉄のホームにある、後ろから電気を当てた広告をヒントに、初めて行ったタンザニアで撮った写真を使い、私がデザインして、表参道の私の部屋に職人さんに作って頂いた物です。写真の上下は本棚になっています。撮影は18歳の時のMizkoによるものですが、今でもSpecialで私のお気に入りです

他人様から協力を得てバックアップして頂くには、兎に角私の思いに共感頂かなければなりませんから、そこでのスピーチは全身全霊で臨みました
それに一発勝負ですからね〜一言一言落とすわけには参りませぬ

その結果、私の希望であるお金を寄付するだけではなく、私や私の仲間達が参加出来る学校建設であること(お金の流れも使い道も知る権利を持ち、建設計画についてアイディアも出し現地にも行く)、それは受け入れて頂きました

その上幸運にもこの団体では、アフリカでの学校建設プロジェクトも積極的に行っていました。
そこで上がった国名が…「タンザニア」

高校の卒業式の前の春休みに、子供の頃からの夢を叶えたくて行った初めての野生動物のいるアフリカ…
ケニア、タンザニア。
そのタンザニアの名前が上がった時には、野生動物達のバックにそびえる美しいキリマンジャロ山を思い出し、この国との縁を感じました

大人になってから通うほど行った野生動物のいるアフリカの国々は、私の人生観をガラリと変え、私に生きるパワーを与えくれました
学校建設の国としてアフリカに拘った理由は、そんなアフリカに私は大きな「恩」を感じていたからです。
日本には「鶴の恩返し」という民話もありますが、アフリカへの学校建設は、私にとって、なさねばならぬ「Mizkoの恩返し」でもありました



madame_mizko at 00:29│Comments(0)TrackBack(0) 日本にて 

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