一日本人で、それも一般人で、その上女性の私がタンザニアに学校を建てるまで Part 1 『決心した瞬間』一日本人で、それも一般人で、その上女性の私がタンザニアに学校を建てるまで Part 3『私、本気なんですけど!」』

January 24, 2015

一日本人で、それも一般人で、その上女性の私がタンザニアに学校を建てるまで Part 2『初めの一歩』

アフリカ…Mizkoの人生とアフリカは切っても切れない縁があります
学校建設を決心する前から、ツアーに参加するのでもなく、そしてガイドも無しの、個人でサバンナに入る旅を重ねていました私とアフリカについてはまた別な機会にお話します

母も娘の私のアフリカへの思いはよ〜く知っていましたIMG_6242

(写真右:前回はゴージャス女子…オードリー•ヘップバーン&マリリン•モンロー…と一緒でしたが、今回はゴージャス男子…ジョニー•デップ&マイケル•ジャクソン…と一緒です特に右手中指のジョニー•デップのヒゲ面がかっこいいわん
ネイルもSpecialじゃなければつまらないMizko流のお洒落ですPainted by
Hanako)

「アフリカに母の名前の学校を建てる」と心に決めても、先ずは資金。
資金については、その当時あちらこちらにチェーン店のあるコーヒーショップのカウンターに「カンボジアに学校を建てる」ということで募金箱が置いてあり、募金目標額も書かれていました。
その位の金額ならばバブルの頃の貯金で賄えると読みました

しかし資金がどうにかなっても、次はどうしたらアフリカに学校を建てられるのか…全く分かりませんでした知識ゼロの状態でありながら、こんなことを心に決めた私は、突拍子もない女かもしれませんねでもそこが私…Mizkoなんです

そして「絶対に〇〇する」と決めたら、そうするそれが私らしさ。
もうど〜〜にも止まらないだ〜〜れもMizkoを止められない

母が亡くなった後、一人っ子の私に降り掛かって来たのは、想像を絶する多くの事務手続きと、税金支払い母の死を悲しんでいる隙もないほどでした

そんな中でも私の心の中の『学校設立』への思いは、「絶対にこの思いを実現させる」と熱く燃えていました

初めの一歩は…
身近な人達に私の決意を話しました。
それも「私はアフリカに母の名前の学校を建てる。」と一言
それを聞いた誰もがビックリ顔だったのは、皆さんもご想像がおつきになるでしょう

皆には、私が母を失った深い悲しみから、たわごとを言っているだけだと思われました
「体力的にも精神的にも疲れているんだから、先ずは暫くゆっくりお休みなさい」が皆の意見でした

だ〜〜れも私の決意を本気にしませんでした
しかしそんなことで諦めるMizkoではありません
だ〜〜れもMizkoを止められませんでした

それから色々な国籍の人達一人一人に私の思いを伝え、理解して頂き、多大な協力を得てMizkoの思いは実現したのですその過程をこれからお話して行きます


madame_mizko at 18:39│Comments(0)TrackBack(0) 日本にて 

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