February 2015

February 01, 2015

一日本人で、それも一般人で、その上女性の私がタンザニアに学校を建てるまで Part 4『やっと辿り着いたスタートライン』

アフリカに学校建設と言っても、私の場合は、お金の行方や使い方が分からない募金をすることではなく、飽く迄も私自身が参加して、お金も意見もアイディアも出すし、現地にも行くということが条件でしたこの条件を満たす協力者を見つけることが困難でした

(写真下:イタリアの男性雑誌より。Mizkoの覗き見 イタリア男性の興味は体作りと女性


IMG_6023して一時の気まぐれや感情に流されて言っている訳ではないことを解って頂くために、周囲の人達から始めて、朝でも夜でも私はどこにでも駆けつけて、出会った全ての人に理解して頂くまで思いを語り、夢中で協力をお願いしました
何十人に同じ話をしたか分かりません

その内に一人からまたその先の人、そしてまたその先の人へ…人の流れがどんどんと出来て来ました。
たった今出会った人達が、親身に話を聞いて共感して下さり、次の方に繋げて下さいました

ここで残念だったのは、日本人よりも外国人の方がこうした活動には積極的で協力的でした
たまたま私のお話した日本人の方々は、私の話に驚いた後にほぼ同じセリフを言いました。

学校を作る〜〜アフリカに〜〜一個人がそんな事は出来るはずはないそんな話聞いたことがない
と…取りつく島もありませんでした

人から人へ繋がって行ったある日…東京や横浜在住の外国人に顔が広いイギリス人が、アメリカ人の友人を紹介して下さることになり、この紹介が私をアフリカ学校建設のスタートラインに導いてくれました

そのアメリカ人に会いに行った先、それは横浜でした
あの日の太陽が燦々と照る「港が見える丘公園」を私は一生忘れません


madame_mizko at 19:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日本にて