January 2015

January 31, 2015

一日本人で、それも一般人で、その上女性の私がタンザニアに学校を建てるまで Part 3『私、本気なんですけど!」』

「アフリカに母の名前の学校を建てる」…そう心に決めても、どこから始めて良いのか全く分からず、先ずは協力者が必要でした。

しかし闘病の末母が逝った直後だったので、誰に話しても、感情的になって言っているだけのことだと思われ、「先ずはゆっくり休んだ方が良い。」と言われて、本気に私の思いを聞いてくれる人は誰一人いませんでした

(写真右:表参道、家の近くのよく行くお店で。気分はミラノじゃなくてパリIMG_1373
フランスならばやっぱりシャンペンよね〜〜じゃなくて〜〜これはペリエ定期的にちょっと長目の休肝日を持たないとこの時は10日間でも休肝中に出歩けないのもつまらない。これならば見た目はシャンペ〜ン

「はあ〜〜何言ってんの〜〜そんなことは芸能人とかもっとお金のある人がすることで、日本人の一般人女性がすることじゃありませんよ〜〜〜
とお爺ちゃん会計士に言われましたっけ〜
だからこそ、このシリーズの題名に「一日本人で、それも一般人で、その上女性の」と入れました

しかし誰に何を言われても、心に浮かんだ「アフリカに母の名前で学校を建てる」思いは消すことが出来ませんでした

その頃の私は、不思議なことに頭でなんやかんや考えるのではなく、見えない力に私の心がどんどん引かれて行き、そのパワーが私を動かしました

madame_mizko at 16:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日本にて 

January 24, 2015

一日本人で、それも一般人で、その上女性の私がタンザニアに学校を建てるまで Part 2『初めの一歩』

アフリカ…Mizkoの人生とアフリカは切っても切れない縁があります
学校建設を決心する前から、ツアーに参加するのでもなく、そしてガイドも無しの、個人でサバンナに入る旅を重ねていました私とアフリカについてはまた別な機会にお話します

母も娘の私のアフリカへの思いはよ〜く知っていましたIMG_6242

(写真右:前回はゴージャス女子…オードリー•ヘップバーン&マリリン•モンロー…と一緒でしたが、今回はゴージャス男子…ジョニー•デップ&マイケル•ジャクソン…と一緒です特に右手中指のジョニー•デップのヒゲ面がかっこいいわん
ネイルもSpecialじゃなければつまらないMizko流のお洒落ですPainted by
Hanako)

「アフリカに母の名前の学校を建てる」と心に決めても、先ずは資金。
資金については、その当時あちらこちらにチェーン店のあるコーヒーショップのカウンターに「カンボジアに学校を建てる」ということで募金箱が置いてあり、募金目標額も書かれていました。
その位の金額ならばバブルの頃の貯金で賄えると読みました

しかし資金がどうにかなっても、次はどうしたらアフリカに学校を建てられるのか…全く分かりませんでした知識ゼロの状態でありながら、こんなことを心に決めた私は、突拍子もない女かもしれませんねでもそこが私…Mizkoなんです

そして「絶対に〇〇する」と決めたら、そうするそれが私らしさ。
もうど〜〜にも止まらないだ〜〜れもMizkoを止められない

母が亡くなった後、一人っ子の私に降り掛かって来たのは、想像を絶する多くの事務手続きと、税金支払い母の死を悲しんでいる隙もないほどでした

そんな中でも私の心の中の『学校設立』への思いは、「絶対にこの思いを実現させる」と熱く燃えていました

初めの一歩は…
身近な人達に私の決意を話しました。
それも「私はアフリカに母の名前の学校を建てる。」と一言
それを聞いた誰もがビックリ顔だったのは、皆さんもご想像がおつきになるでしょう

皆には、私が母を失った深い悲しみから、たわごとを言っているだけだと思われました
「体力的にも精神的にも疲れているんだから、先ずは暫くゆっくりお休みなさい」が皆の意見でした

だ〜〜れも私の決意を本気にしませんでした
しかしそんなことで諦めるMizkoではありません
だ〜〜れもMizkoを止められませんでした

それから色々な国籍の人達一人一人に私の思いを伝え、理解して頂き、多大な協力を得てMizkoの思いは実現したのですその過程をこれからお話して行きます


madame_mizko at 18:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日本にて 

January 17, 2015

一日本人で、それも一般人で、その上女性の私がタンザニアに学校を建てるまで Part 1 『決心した瞬間』

1月17日…阪神大震災から20年目の今日…
改めて犠牲者の皆さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
一瞬にして愛する方を失ってしまった皆さんの大きな悲しみは計り知れません。
この日のことは日本人として決して忘れてはいけない、風化させてはいけませんね。

それは13年前の4月のある日のこと……。
闘病の果てに、近く母が逝ってしまうことは重々覚悟はしていたものの、目の前にいる母が今にも消えてしまうと思うと恐ろしくて悲しくてやり切れない時でした

ベットに横たわる母の側で、ふと心に湧いて来た事がありました
それまでに一度も考えたこともないような事が私の口から飛び出しましたIMG_5385

「私…いずれママがいなくなったら、ママの名前でアフリカに学校を建てるわ

笑顔もすっかり消えた母でしたが、その時は満面の笑顔で、
「あら〜良いわね。そうして頂戴。」
その最後とも思える母の笑顔で、私は心を固めました

それから間もなく母は逝きました

瞬時に私の心に浮かんだことで、それをそのまま言葉にしたことでしたが、決してその場凌ぎの口からでまかせではありませんでした。
これが私が「アフリカに学校を建てる」と決心した瞬間です

(写真:去年私のネイル担当のはなこちゃんに、『Mizko、豪華な女性と女子会』とお題を出したら、マリリン•モンローとオードリー•ヘップバーンを爪に描いてくれました周囲に大好評でした
はなこちゃ〜ん有難う

madame_mizko at 11:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日本にて 

January 13, 2015

遂にお答えします!何故Mizkoがアフリカに学校を建てたのか?

やれクリスマスやれお正月と言っていましたが、アッという間にお正月も成人式も終わりましたね〜それにしても年明けから体調を崩したりついていない方結構いらっしゃるようですね…そんな方はMizkoの日記で開運してくださいませ
2015年もMizkoパワフルに行かせて頂きます〜〜〜IMG_3486

(写真右:「南青山3丁目のベルコモンズを目指して下さい!」とタクシーに乗る度に言っていましたが、昨年ベルコモンズは閉館。1月8日名前を外していました。また一つ青山の象徴が消える瞬間

さ〜〜て遂にお答えします
今まで数え切れないほど聞かれて来た質問に

1)何故アフリカに学校を建てたの
2)何故他の国じゃなくてアフリカにしたの

(写真下:同じく1月8日。21年間続いたみなとみらい「ランドマーク」にあるお店が今月15日に閉店となると急遽知り、慌ててお別れに行きました値段も味もこの夜景も文句無しだったのに残念

IMG_5467私は聞かれる度に答えてはいたものの、それは答えのほんの一部にしか過ぎませんでした。
というのも、答えはちょっと話して終わる様なそんな簡単なことではありません

その上答えるには、実母の死について触れなければならず、それが辛くてなかなかこの日記にも書けずにいました
しかしもう大丈夫今ならば書けます

それに次の私のアフリカへの思いを実現するには、自分へのけじめとしてお話するべきだとも思いましたIMG_8948

(写真右:1月8日みなとみらいから表参道に帰ったら、なんと片側だけイルミネーションが点灯していました。いつもなら早い時間に両側共消灯になってしまうのに…ラッキーイルミネーション独り占め

次回から、私がアフリカに学校を建てたいと思ったその瞬間から建てるまでをシリーズでお話します。
ここまでのお話をするのは、今回が初めてです

長い間Mizkoの心の中に秘めていたことをあなたにも知って頂きたいです
どうか暫しお付き合いの程お願いします




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January 02, 2015

2015年最初のメッセージ

Readerの皆さん、明けましておめでとうございます
皆さんの御健康、お幸せ、ご活躍を心よりお祈り申し上げます20111215_4ffd80

毎日思う事……
雨が降る日、風の強い日、屋根のある所に暮らせること…有り難い
寒い日に、暑い日に、快適な温度に出来る冷暖房のある生活…有り難い
暗い時には、スイッチ入れれば、電気が照らしてくれる…有り難い
蛇口を捻れば、思い切り出てくる熱いお湯に、冷たいお水…有り難い
お風呂に入れたお湯…
これだけの湯量は、何㌔も先の水汲み場からバケツで運ぶなら、バケツ何杯分の量だろう
そんな環境下で、これだけのお水を溜めるにはどれだけの時間が掛かるのだろう
それを考えると、好みの温度で蛇口からいくらでも出て来て、お風呂を満たして行くお湯を眺めながら、そんな生活が出来ることが益々有り難く思う
そしてそのお湯を排水溝に流す度申し訳なく思う

こうした日々の生活が、決して当たり前ではないことに気付かせてくれたのは、一通の手紙でした。
送ってくれたのは、2014年の最後の日記でお伝えした、政府から賞を頂いた私の建てたタンザニアの学校の生徒代表の男子からでした。

「雨の日にも風が吹く日にも安心して勉強が出来る屋根のある学校に通うことが長い間の僕達の夢でした。僕達の夢を叶えてくれて本当に有り難うございました。僕達は今とてもハッピーです。」

この一通の手紙は泣けました
その涙は自分の反省でもありました17d8362a14

それまでの私は、屋根があり、冷暖房があり、電気が点き、蛇口捻れば、熱いお湯も冷たいお水が出る生活環境に何も思っていませんでした。多分当たり前だと思っていたのでしょう

人との出会いや美味しいものへの感謝の気持ちが有っても、こうした日々の生活環境への有り難さは考えていませんでした

しかし人生で当たり前のことなんか一つも無い
そして人から頂ける愛や優しさや協力も含めて当たり前のことなんか一つも無い

タンザニア学校建設、井戸掘りというプロジェクトを通して、私は沢山のことに気付かされ、沢山のことを教えられました
極めつけはこの一通の手紙で、ど〜んと頭を殴られた感じで大きな気付きがありました

2015年は、改めてそうした小さな事にも一つ一つ感謝の気持ちを忘れずに、有り難く生きて行きたいと思います
勿論Mizkoの人生4大要素…2013-09-07, CHIPS, Tanzania _002
「Amore(=愛)」「Passione(=情熱)」「Avventura(=冒険)」「 sfida(=挑戦)」 を持って、次のプロジェクトに臨みます。
そうして一人でも多くの人達の笑顔に繋がるように精進して行きます。

どうか今年もMizkoのことを宜しくお願いします



madame_mizko at 15:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日本にて