July 2013

July 31, 2013

Mizkoのイタリア

2回に渡ってお話しましたMizkoのイタリアビザ更新手続きの様子…21 Naviglio-8
イタリアでは、滞在許可書を更新するだけでも、あのようななが~~いドラマがあります
日本でのパスポートの更新や免許書の更新ならば、日記に書くネタにもならないほどスムーズでしょう
ですからイタリア生活ではネタが尽きませぬ
逆にドラマが長過ぎて、これでも随分そのドラマを端折って書いているんですよ~
21 Naviglio-24 
(写真は前回に引き続きNaviglioナヴィリオ。古びた薬局やアーティストのお店やオシャレなセレクトSHOPが集まっていて、なかなか楽しい停泊している船はバーです以前お話したミラノのHappy hourの中でもこの船上はなかなかお料理も充実していて美味しいんですよ
ただナヴィリオは、ザンザーレ(イタリア語で蚊)にご用心
21 Naviglio-2
イタリアで普通に生活する中で……
何をするんでも日本のものさしでは計り切れない程時間が掛かる
こんなことに何でこんなに時間も労力も必要なんだろうといつも思う
何をするんでも弱気で直ぐにgive upしてたら、何一つ先には進まない
これでもか~あれでもか~と頭を振り絞って、パワー全開で臨まなければ、生活が出来ない

でもこんな生活をしていると、体中の60兆の細胞が活性化され生きるエネルギーが自然と体の底からグワ~~ッと沸き上がってくる


最近つくづく思う…人を本気でとことん愛するって沢山のエネルギーが必要な事21 Naviglio-27
熱く思えば思う程エネルギーが必要
だからこの国がアモーレの国と呼ばれるのは当然だと思う

21 Naviglio-23日本にいるイタリア人は日本の環境に馴れてしまったせいかそれほど感じないが、ミラノの私の回りのイタリア人は兎に角エネルギッシュである
それがオーラとしてバンバン私に伝わってくる
弱気でいると、彼らにオーラ負けしてしまう。21 Naviglio-20

私も、日本ではかなりエネルギッシュのようで、皆さんに良く言われる
そのMizkoの生きる原動力はイタリア生活に育まれているのだろう

イタリア生活をしている人々は、イタリア人を含めて沢山の不満を持っていると思う。
しかしそんな彼らもそこに暮らす外国人もイタリアを決してキライではない。
キライになれない。いや好きである
こんなに生活が大変な国だから、一時も早く逃げ出したい…とも思わない。

兎角「本音と建前」のある日本から行くと、人間の持つ喜怒哀楽の感情を思いっ切り出せることに快感がある21 Naviglio-25
これで『今生きている』っていうことを実感する

なにもかにもがスムーズに行く楽な生活をしていたら、Mizkoのハートは燃え上がらない


madame_mizko at 21:09|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

July 23, 2013

Mizkoついにゲットしました!

前回からのつづき…

(写真は全てミラノNaviglioナヴィリオにて。家から路面電車で15分ほどのところにあるこの運河。
同じミラノとは思えないほどのどかな風景。Mizkoのミラノでの大好きな場所の一つです。一番下の写真は昔の洗濯場です。)
21 Naviglio-5
今回の滞在許可書(ビザ)の更新手続きについて、ネットで見ても相変わらず明確な回答を得られず現在の滞在許可書を見せながら、「滞在ビザの更新をしたいのですが…」と
先ずは日本で言う区役所のようなオフィスへ…「最寄りの警察に行って下さい。」
そして最寄りの警察へ…「郵便局に行きなさい。申請書類一式がもらえるから。」
そして郵便局へ…「外国人滞在許可書申請の窓口はあるが、本日はやっていません。」
もう一件の郵便局へ…「ここでは外国人滞在許可書申請はやっていません。」
大きな郵便局へ…「ここではやっていないので、〇〇通りの郵便局へ行きなさい。」
〇〇通りの郵便局へ…「これが申請書類一式です。しかし私は書類を渡すだけで、内容は分かりませんから、質問があればここに電話して下さい(と電話番号をくれました)。」
兎に角ここでやっと書類一式が手に入りました。
気温36度のミラノであっちこっちを巡り、クタクタでした21 Naviglio-9

夜自宅でその書類に記入している時に、疑問が湧きました。
本当にこれに記入するべきなのかしら信用出来ない
そこで、ミラノに来た時にあれこれとお世話になったエージェントにメールをしたら、
「◯◯の書類、△△の書類、☆☆の書類…………を持って、△△通りのオフィスに行きなさい。」
苦労して手に入れた上記の申請書類一式は全く必要ないとのことでした。

それで翌朝、エージェントに言われた書類を持って行きました。
ミラノで初めてビザを申請した所です。
色々な国籍の人が溢れていて小さな子供達は室内を駆け回り、赤ちゃんは泣きわめき一方では赤ちゃんがお漏らしクーラーのろくに効いていない室内は熱気がすごく、人々の汗とあかちゃんのお漏らしの異臭が漂いなんだか難民になった気がしてしまいました
21 Naviglio-10
入り口で番号札を貰ったら、まだ40人ほど先です。
そして番号を呼ばれたのは3時間半後

しかし、やっと窓口に立った時、「ラッキー」と思いました
イタリアでは、相手次第で流れがドラマチックに変わります。
(この係員のオジさん、優しそう
私の感は当りました
とても親切に説明してくれ、持って行った書類の半分も必要ではないとのこと。
そして10分くらいやりとりをして、一枚の書類を私に差し出し、「書かれていることに相違がないか良く見て下さい。」と言いました。

しかしその書類には、ビザの有効期限が書かれていません
21 Naviglio-15
Mizko:「今回は何年間のビザなんでしょうか
係員:「無期限です。」
Mizko:「無期限
係員:「パーマネントです。」
パーマネントビザ……そう永住ビザです

永住ビザの申請なんて考えた事もなく、今回も「また5年くらい有効なビザを貰えたらいいな〜」と現在の滞在ビザの更新手続きをしていたつもりだったので、兎に角びっくり

その上に…
係員:「15分くらいしたら出来上がります。そうしたら名前を呼びますからそれまでお待ち下さい。」21 Naviglio-19
Mizko:「え〜〜〜〜今日中に貰えるんですか
とまたまたびっくり

15分ではありませんでしたが、30分後には私はイタリア共和国の永住ビザを取得しました

最初の流れから行って、スムーズに行くとは全く思ってもいませんでしたし、まさかその日に永住ビザを取得するとは、想像もしていませんでした

数日間あっちだこっちだと言われて、暑い中歩き回りどうやったらスムーズにビザが更新出来るのかと頭を痛めていましたから、最後の数十分で何もかにもが順調に運び、トントン拍子で永住ビザが取れて、良い事ですが、なんだか拍子抜けして疲れが一気に出ました

結局、更新手続きについて、どの情報も正確ではありませんでした。これもイタリア

イタリアに永住することは全く考えた事はありませんが、こんなに今までビザ更新に苦労したので、まあ頂けるものは有り難く頂いておきましょう
これで、私には如何なる犯罪歴も無い事が証明された訳ですし…


madame_mizko at 22:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)イタリアにて 

July 22, 2013

Mizkoのイタリア滞在ビザ更新奮闘記

(写真:ミラノで見たストリートパフォーマンス)19 Milano-2

イタリアで生活するには、用途に合った滞在許可書(ビザ)が必要です
この7月末に切れる長期滞在ビザに、私はもう半年も前からうんざりしていました

イタリア生活で何が嫌って、それはビザの更新です
これはイタリアで暮らす多くの日本人が声を揃えて言っています。

例えば日本のパスポート更新の場合…ネットで見ようが、誰に尋ねようが、取得方法や申請場所についての情報が一致しますが、このイタリアという国では、年中システムが変更し、そのシステムをきちんと把握している人がほとんどいない
ですから、お役所の3人に聞けば、3人とも回答が違う

そんな国ですから、今のビザ取得の時にも大変な思いをしています
その時にはイタリア人の友人がアシストしてくれましたが、彼女すらも、「この国のシステムはなってない私の国は恥ずかしい」と激怒しながら泣き叫びもうぶっ千切れてしまったくらいでしたからね

お役所の回答も…
A:「〇〇の書類が必要です。」
B:「〇〇の書類は必要なく△△の書類が必要です。」
C「〇〇も△△も要りませんが、☆☆の書類が至急必要です。」
そうなると当然、「なんだ~~~~~はっきりしてくれ~~~~」ってなっちゃいます。
ネットで、日本語、イタリア語、英語で調べても、書いている事はまちまち。

前回のビザの更新は書類を送ってから9ヶ月目に連絡があり、「最寄りの警察署に取りに来い」とのこと。(ビザを取りに行くのに、何で警察

警察署に行くと入り口には長蛇の列。
そして一人一人建物の中に入り、その流れはイタリアンスピードでとってもスロー。
何時間も待たされているのに、前列の一部の人だけが中に入っただけで、「はい。今日はここまで。」とドアを閉められてしまいました

Mizko:「ちょちょ~~~と待って下さい。私は、9ヶ月前に申請したビザが出来上がったとの知らせをもらい、それを取りに来ただけなんです。」
警察官:「本日は終了。」(ただその一言だけ)

警察署は夕方まで開いているのに、お昼前に本日終了とは納得出来ません。
私が不可解な気持ちと、警察官のその不親切な態度に腹を立てていると
一人の外国人女性:「彼らは、一日外国人パスボートの仕事は15通までしかしないの。だからそれ以上になると、その日はだめなのよ。私がここに来たのは、これで3度目。今回もダメだったわ。」
と言いました。
(ひぇ~~~何なのこのシステム)そんな情報はどこにもありませんでした。

用件には関わらず、警察署での外国人パスポートの仕事は一日15通までということでした。
つまり子供も含めて外国人15人しか受け付けないということです

警察署に何度も通うなんてまっぴらですから、翌日には早朝に行き、警察署が開くまで2時間以上外で立って待ち、列の前から15番目までに入りました。そして警察署が開き、更に自分の番が来るまで数時間を外で立って過ごし、やっと建物に入ることが出来ました…が

係員:「書類が足りないので、また今度。」
Mizko:「必要書類と書かれた欄の書類は全部ここにあるじゃないですか19 Milano-1
係員:「ここには書いていないけれど、〇〇の書類も必要です。」
Mizko: 「じゃあ何故、必要書類欄に〇〇書類も記載しないんですかこちらは言われた通りにしています。このまま私のビザを下さい。」
係員:「〇〇書類を持ってまたいらっしゃい。」
Mizko:「また朝から並ぶなんてじょ~~~だんじゃありません今からすぐ〇〇書類を届けてもらいますから、本日中に私のビザを下さい私はビザを貰わずには帰りませ~~~ん。」
ここで引いたら、朝から並んだ意味はないし、また労力と時間の無駄になる
私は〇〇書類が到着まで、その係員から離れず、ピッタリ横に座っていました。
この係員から目を離し、ランチタイムで違う係員に交代してしまえば、また話は初めからです。
〇〇書類が届き、私はこの日にビザを取得しました
イタリアでは弱気じゃいられませぬ。本当にパワーが必須です

受け取ったのは5年間のビザですが、その5年間には、ビザが出来上がるまで待たされた9ヶ月間を含んでいます。

あれから4年3ヶ月…とうとうまた更新の時を迎えました。
今回も前回以上に奮闘致しました。そのお話は次回熱つ~~く語らせて頂きます
Mizkoがたっぷりエネルギーも使ったその結果は


madame_mizko at 19:01|PermalinkComments(2)TrackBack(0)イタリアにて 

July 19, 2013

ドイツ国際平和村訪問 愛しくて、切なくて…Part 3最終回

Part 2の続きです。27-18

(今回の写真は、ミラノドゥオーモ内です私はキリスト教徒ではありませんが、神聖な気持ちになれるので、海外では教会によくお祈りに行きます。そしてこのドゥオーモにも。マリア様とイエス様には必ずロウソクを捧げます。)

世間には「争いのない国」に「健康で生まれて」、「教育を受け」、だれにも強制されたわけでもなく、「自分の意思で選んだ生き方」をし、ある程度「何不自由なく」「雨風凌げる暮らし」をしていても、不満を持ち、なんだかんだと文句を言って暮らしている人も少なくはありません。

私の旅は、決して美しい場所を求めただけの旅ではなかったので、沢山の旅を通して、沢山の人々と出会い、上記の「」内のことがどれだけ有り難いことであるかを思い知らされました。
27-17
今こうして好きなように日記を書ける「表現の自由」があることも有り難いことです
東西に分裂していた頃の東ドイツでは、とんでもないその政治や暮らしにさえも批判すら一言も口に出せない時間を過ごしました。西側の新聞すらも持ち込みさせては貰えず、見付かると即、能面のような表情のない兵隊に没収されました反抗すればすぐに逮捕ですからね。(またその時の経験談も日記に書きましょう

さて平和村の子供達は生まれた環境が既に平和の無い国でした。または医療の発展のない国でした。
それもその子が生まれた時から死ぬまでその環境がほとんど変わることがなく、平和村での仕事は終わりがありません

27-16時間が過ぎ、私は平和村を去らなければなりません Milano
でも平和村の子供達は別れには馴れています。
ここを訪れる誰もはそうして去って行き、それ以前に子供達は祖国を離れ、親兄弟と別れて遠くの異国に来ている訳ですから

日本のものさしでは計り切れない今を生きている人達がこの地球上には沢山いるものです。

私は自分は日本人だという以前に地球人だと思っています皆同じ地球という星に生きる同胞…。
その同胞の自分と違った生き様をみて、どんなになんだかんだとあった人生にしろ、あれだけ泣き尽くした経験があっても、また心に平和が戻り、多くの方に支えられて、そしてこうして元気に今日を生きていられることに神様への感謝の気持ちは尽きません。
今自分が出来ることをしなければ申し訳なくてたまりません。

27-18そして彼らの姿は決して他人事ではありません。
たまたま今は日本という国に生まれて来れただけで、次に生まれて来る時には、どんな場所でどんな姿で生まれて来れるのかなんて分かりませんからね。

長い訪問記を最後までお付き合い下さり、本当に有難うございました
この日記を通して、Readerの一人でも多くの方が、Mizkoと一緒に彼らの心にも、いつか必ず本当の平和が来ることを祈って頂けたら幸いです
私は今既に、次回の平和村訪問に向けてある計画を決めました。
Mizkoのamoreは終わらない I never stop loving you

madame_mizko at 11:01|PermalinkComments(2)TrackBack(0)イタリアにて 

July 18, 2013

ドイツ国際平和村訪問 愛しくて、切なくて…Part 2

Part 1からの続きです。

(写真はデゥッセルドルフの夜に)
1 Duesseldorf-5
神様からのプレゼントあんなに降っていた雨がタイミング良く一気に止んで、お庭に出て来た子供達と一緒に遊ぶことが出来ました
私は子供とはすぐに遊べる質なので、あっと言う間に子供達の輪の中

今回私は、長くなった髪を一つに束ねずに広げたままで行きました。私の髪は日本人らしくなく、フワフワの天然カーリーヘアーなのですが、そ うしたらどうでしょう。女の子達が私の髪のフワフワ感を喜んで触っていました。ブレスレットを自慢して見せる女の子達。男の子達は木にぶら下がって 「Schau malSchau mal(見て見て!)」と誇らしげ……本当に可愛い子供達です

特にアンゴラからの6歳くらいの女の子が私にとっても懐いてくれて、一緒に遊びました
子供がよくやる、二人で手の平を合わせてやるような遊びですが、なんだか私には分からず…、彼女には何度も「nicht so ! soooooo!(そうじゃなくて、こうやるの〜〜」とドイツ語で怒られちゃいましたそれに対して私は…
「Mann oh Mann oh Mann ! Das ist nicht so einfach(あ〜〜も〜〜〜〜〜これ難しいわね〜〜).」
子供達の共通語はドイツ語です。そして私は何カ国語かを話しますが、目の前の話したい人と自由に話が出来る…こういう時に勉強をして来た甲斐を実感します(特に文法の難しいドイツ語には、たっぷり泣かされましたからね〜〜

彼女の顎には顔の半分くらいの大きな瘤が出来ていて、話すのが辛そうで、声もかすれます
しかし真っ黒な瞳で私を見つめ。私の両ほほや髪を小さな両手で撫でる仕草には、思いっ切り抱き締めたいほど愛しさを感じました

私は誰から聞いた訳でもありませんが、その瘤が何なのかを知っています。それは私には見覚えがあるからです。そのせいか私は、彼女にはどの子よりも強く引かれましたそして彼女の魂も「この人なら受け入れてくれる」と思ったに違いありません。
彼女は私から離れませんでした。私に寄って来る他の子供達を払い避けました。
私はこの出会いに縁を感じました

彼女の愛らしさがたまらなく、その反面、彼女のこの瘤の行く末に想像がつく私は、それが恐ろしく、また切なくて、悲しくて、どうにか笑顔を作って彼女と遊ぶのがやっとでした

彼女のように病気を抱えている子供達、地雷で手足を失った子供達…それ以外に生まれた時からハンディを背負っている子供達…何度かの訪問で私は色々な子供達に会って来ました。
平和村では写真撮影には制約がありますし、撮影した写真の公開にも子供達の親の反対もあり、簡単には公開出来ません
皆さんの想像を絶するような厳しい状態の子供達も一杯いますからね。
そういう写真を見て、その現実に目を背けたい方もいらっしゃるでしょう。1 Duesseldorf-4
怖がる方もいらっしゃるでしょう。
でもそれではあまりにも今その状態で生きている子供達には残酷です

ですから私は言葉で伝えて行きたいと思います……
顔が火傷でただれ、目も鼻の口の存在も分からない子
頭も首も目も鼻も口の存在も分からないほど腫瘍だらけの上半身を持った子
真ん丸な顔には3つの小さな穴しか無い子
国際平和村の訪問前夜に見たテレビ番組には、アフガニスタンの鼻と耳のない子供を養女にしたアフガニスタンの夫婦が出ていました。
見える所だけの奇形ではなく、体の中が奇形である子も多いです。

今回は前回には無かったお裁縫室が出来ていました
子供達の作品が壁に掛けられています。それは見事な出来映えで、「私も教えてもらおうかしら」っと
思ってしまいましたただこれまた切ないのは、いつ帰れるか分からない祖国にいる妹やお母さん、家族に作ったものだそうですどの子も自分の物は作らない。
どんなに平和のない祖国でも、愛のある家族が待つ国に帰りたいのですね
家族への思いを一針一針に込めて縫ったのでしょう…どれも愛情の籠った作品でした。
お裁縫技術を身につけるということは、私達とは違った意味もあります。
それは、買った服を直ぐに着られる健常者ではないので、自分で自分の義足なりに合わせて、作り直さなければなりません。そのための技術でもあるそうです。

子供達の下着を買いに行った時、デパートのフロワーを走り回り、我が儘放題わめいている子。それを注意もしない親。そんな子供に「どれが欲しいの?」とシャツを選ばせている親。
まとめて国際平和村に精神修行のために送ってやりたいほど、Mizkoは腹が立ちました

Part 3につづく


madame_mizko at 23:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)イタリアにて